邪竜の巨大な鉤爪が、エスティニアンの胸を薄く切り開いた。溢れる血は腹へと流れ、荒れ果てた石畳にぽたぽたと落ちる。その赤い血は、純粋なる人間だったときのものだった。
エスティニアンは、槍を持たなかった。鎧も衣服も全て脱ぎ捨て、一糸纏わぬ姿で身体を石畳に投げ、帝竜を見上げる。下半身は己の真っ白な体液で濡れ、身体中が帝竜の唾液で滑っていた。
瞳は翳る。全身を巡る帝竜の血が彼を前にしてざわざわと騒ぎ、彼の命令を待っている。エスティニアンは竜の本能で、眷属が皆そうするように、帝竜の声を、言葉を、命令を待つ。ニーズヘッグが唸ると、竜の血はたちまち歓喜し沸き立った。
ニーズヘッグは四肢を大地につけ、エスティニアンを見下ろし、喉を鳴らす。
『seth stra an
dys in an
ed esk in』
『ess in Niddhog』
邪竜の舌が、エスティニアンの秘部を掬い、腹の血を拭い、喉元を伝って、髪を撫でた。エスティニアンは、クク、と嗤うと、邪竜の腹の下から這い出て、転がった鎧を手繰り寄せた。鎧をまとい、槍を携えて、邪竜が開いた暗闇に足を踏み入れる。幾度かの、帝竜との——そして、エスティニアンは皇都へ帰還した。
***
月明かりが冴え冴えと空を染める晩、本部は静まり返り、神殿騎士たちは眠りにつく。
総長室にて、一人物思いに耽る。友はまた、忽然と姿を消していた。
友が神殿騎士団本部を出たところを見た者はおらず、また聖徒門や発着所を訪れる姿を見た者もいない。誰にも一度も姿を見られぬまま皇都を去り、いつの間にか帰還している。そんなことが、本当にできるのだろうか。
これまでもふらりと隊を離れることはあったが、必ず誰かがどこかで彼の存在を目撃していた。このところエスティニアンは妙に上の空であったことも気に掛かる。考え込むことしか出来ない自分がもどかしい。
エスティニアンは以前、皇都に被害が及ばぬようにと竜の眼を持ち去ったことがあったが、やはり魔力をじかに受け、心身に異変が生じているとしか思えない。訊ねてもエスティニアンは言いたがらなかったが、強く問い詰めるべきだったと後悔が募る。
「エスティニアン、何があった……」
リンクパールを耳に押し当てる。もっともエスティニアンは、急務でない限り、通信に応じる男ではない。だが、希望がわずかでもあるならば。祈るようにリンクパールを鳴らした。
——何かが、部屋で鳴っている。
耳元から聴こえる音の他に、何かが。
顔を上げ、辺りを見回した。しかし私のほかに、総長室には何もない。
リンクパールを耳に当てて音を確かめた。だがやはりこれではない、リンクパールの受信音に似た音が、部屋のどこかから小さく鳴っている。
「おかしい……」
『アイメリク』
視線を上げると、真正面にエスティニアンが立っていた。
エスティニアンだ。
彼の手に握られた小さなリンクパールから、もう一つの音が小さく鳴っている。
「エス、ティニアン、」
私は言葉を失った。ずっと顔を上げ、周囲を見ていたはずだ。音が鳴ってからも、ほんの一瞬、リンクパールを見ただけだ。その一瞬の間に、エスティニアンは部屋にいた。窓も仕掛けもない部屋に、なぜ、
「……今、どうやって現れた?」
『扉から入ってきた』「ありえない!」
執務室の扉は、確かに閉まっていた。一度も扉を開かずに、どうして扉から入ってこられよう。
「もしや、ずっとこの部屋にいたのか?」
『いいや、たった今帰還した』
「ならば、エスティニアン……訊きたいことがある。一体、何があったのだ。竜の眼を持ち帰ってから、お前は何もかもがおかしい! 竜の力が、何かお前に影響を及ぼしているのではないか?」
『そう思うのか』
私の頬辺りに向かって、エスティニアンのよろわれた手が伸びる。私は手を躱し、エスティニアンを睨んだ。信じられない。我が友ならばしない行動だ。エスティニアンの指先は行き場を失い、机の上にべちゃりと落ちた。
生きている者の眼とは思えない仄暗い眼が、私をじっと見つめている。まるで、糸で釣られ操られているかのようだ。こんなエスティニアンは、見たことがない。言葉を伝えて、果たして届くのだろうか。一度譲歩して、出方を伺うべきか。
「すまなかった、私が疑り深くなっていたようだ。エスティニアン、よく戻ってきた。だが隊を離れ別行動を取るのと、突然行方不明になるのとでは訳が違う。今回のお前の行動は、後者だぞ。特殊任務に就きたいのなら、せめて私かアルベリク卿には告げて行け。以前のお前なら、そうしたはずだ」
『もう、以前の俺ではないからな』
エスティニアンは辺りをぐるりと見渡し、総長室の出口へと向かった。ああ、帰りたければ帰ればいい。
だがヤツは腕の鎧を外し、総長室の床にボトボトと落とした。そして出口の扉に手を掛けると、扉の鍵を閉めてしまった。
「何のつもりだ……。まだ私の説教を聴きたいのか?」
『ああ』
彼らしくない。ニーズヘッグの魔力を浴び過ぎて、心身に不調をきたしていると考えるのが妥当だろう。だが、皇都の出入りや、先ほどのエスティニアンの侵入は、どう仮説を立ててみても説明がつかない。何かの魔法を使ったとでも考えるべきなのだろうが、エスティニアンは魔力は自在に操れても魔術の心得はあまりないと記憶している。考えれば考えるほどわからない。
いや、解りかけているのだが、その仮説だけは、認めたくなかった。
総長室の机を周って、エスティニアンはこちら側に侵入してきた。ルキアよりも近くまで接近し、ヤツは私を覗き込む。上等だ、私もこの距離で、お前を観察したいと思っていた。
傷んだ髪に、乾いた血がついている。戦っていたということだろうか。瞳は曇天のごとく陰り、目を合わせているのに合っている心地がしない。エスティニアンは、微笑んでいる。
『美しい。俺のアイメリク』
私の肩へ、エスティニアンが覆い被さってきた。なぜ? 逃れられない。どうして逃れられないのかが、わからない。何をしているのだ、この体勢は。
異臭がする。エスティニアンの身体から。何の匂いだか見当がつかない。
香水でもない、汗や屎尿の類でもない。火薬に近いか、花だろうか。
どれとも異なる匂いがする。眩暈を起こさせる匂いだ。例えばこれが媚薬の一種だと言われたら納得するような匂いだった。心臓の音は速まり、強く脈打つ。背中を汗が伝う。胸が痛い、額が熱い。
エスティニアンは私から身体を離すと、両手のひらを私の目の前に差し出した。どうぞ手を乗せてくれと、手のひらは無言でこちらへ語り掛けてくる。私は恐る恐る、エスティニアンの手に自分の手を重ねた。
まずい! だが既に遅かった。
椅子から無理矢理引き摺り下ろされた。ヤツは人ならざる力で私の腕を掴むと、私の胸を押し潰して机に背中をつけさせた。
「お前……眼が」
エスティニアンの眼が、赤く、ぎらぎらと輝いた。にやりと嗤うその顔が邪竜と重なる。血管かエーテルの流れのような紋がエスティニアンの頬に赤く浮かび上がった。眼の輝きが強くなっている。——エスティニアンではない。これは正しく、邪竜そのものだ!
「エスティニアン! エスティニアン、目を覚ませ!」
目を覚ませるだろうか。いや、これは好機だ。殺さなくては、イシュガルドの民のために。今なら奴を殺せる! 私は剣の柄に手を掛け、音を立てぬよう持ち上げた。
『アイメリク……ずっとこうして触れたかった』
エスティニアンの手が私の首元を撫で、肩から、纏っていたコートの装飾が零れ落ちた。がしゃり、と装飾の擦れる音が響く。
「それは、お前自身がか? それとも、邪竜の命令か?」
黒いインナー一枚では、この恐怖はあまりに寒過ぎる。
『俺の本心に決まっているだろう』
耳元で聴いたことのない猫撫で声が聴こえ、身体の芯が反射的に熱を持った。恐ろしいはずなのに、この身体の反応は一体何だ。第一、エスティニアンが私に触れたかったなどという欲望は、一度として感じたことがない。邪竜に侵されているに違いないのだ。
だがしかし、解っているのに力が抜け、胸の痛みが薄まり、呼吸が深くなってゆく。柄に掛けたはずの手は、やり損なって緩んでしまった。匂いがいけない。エスティニアンの腕の中で息をするたび異臭が鼻を覆って、気分がいやに高揚するのだ。
身体をまさぐる手は壊れものを扱うようで、触れられたところはたちまち熱を持った。
「うっ、……やめろ、」
エスティニアンは私のインナーをめくると皮膚にじかに触れ、私の胸を掴み、女性にするように揉み始めた。胸に唇を寄せ、舌で私の胸の突起を弄ぶ。頭に痺れが走り、これが感ずるということかと全身が震えた。
『お前のここが、こんなに柔らかいものだとは知らなかった……。良い心地だ』
「っう、あ、あぁ」
赤い瞳が銀糸の隙間から覗き、視線を下ろすと目が合ってしまう。エスティニアンの指一本一本が私の胸に埋もれうねっている。エスティニアンの熱い吐息が胸にかかるたび、喉が詰まって仕方がない。
「ああッ……! やめ、だめだ」
胸から腹へと口付けが降り、血に浸した色をした舌が、私の臍をぐるりと混ぜた。こんなことがしたかったのか、エスティニアンは。それは本当に、お前自身の欲望なのか。邪竜に操られているのだとしたら、何のために私を襲う。どうすればいい、どうすればエスティニアンを止められる。
「んん、ぁあッ……!」
考えている間にもエスティニアンの手は私の指を掬い上げ、飴細工でも舐めるかのように口に含んで舌を這わせた。まるで、エスティニアンに命じられ身体を差し出しているかのようにも思えるし、私がエスティニアンに命じてこうさせているかのようにも思えた。エスティニアンに触れられることを私は心の奥底で望んでいたのだろうか、身体が羞恥を感じながらも歓喜している。全身が喜びに満ちて、エスティニアンを受け入れようとしている。
こんなことは許されない。対等であった友人関係を壊したのは、誰だ。恨むべきは何だ。私は力を振り絞って叫ぶ。
「ニーズヘッグ……エスティニアンを返してくれ! ヤツはこんなことをする男では、ッ!」
何も見えない! 暗闇だけが眼前にある。
目元を掴まれたか。
口の中に、エスティニアンの存在が入ってきた。
惑わす匂いのする舌が、私の舌を舐めている。
それはひどく柔らかく、私の胸が締め付けられた。唇と唇が触れ合って吸い付き、息を合わせたかのように私達は何度も口付けを交わした。私の目を覆うその手の上では、エスティニアンが赤い瞳をぎらつかせ、支配者の顔をしているのだろう。
気がつくと私はエスティニアンの首に手を回し、エスティニアンの後ろ髪に縋り付いていた。二人分の熱が行き来する口内は火傷しそうなほど熱く、ふしぎと安らいだ。
邪竜は何を楽しんでいるのだろう。私にはわからない。脚の鎧は床に捨てられ、身体は机の上に押し上げられて、いよいよすることは一つだった。
この行為が終わらなければエスティニアンは戻っては来ないのだろうと、そんな気がした。そして邪竜が満足するまで、きっと私達はこの行為を続けなければならないのだろう。
剣は出口近くまで投げられ、一突きで殺すことはかなわなくなった。鎧や衣服は全て剥がされ、私は情けなく勃った陰部とともに横たわる、ただの人となった。
銀糸が私の頭を囲む。邪竜よ、どうして私を慈しむ。赤い瞳が細められ、そっと伏せられた。
同じ神殿騎士団で経験を積んできたはずなのに、竜騎士のエスティニアンの身体は余計な肉が削ぎ落とされていて、私よりもずっと痩せていた。肌はやはり私の色とは異なっていて、私の脚がエスティニアンの肩に担がれたとき、はっきりとした色の違いに気がついた。エスティニアンの陰部には銀色の髪が生えていた。私のどす黒いそれとは違って、美しい、と思った。
エスティニアンの肉体がゆっくりと動く。
「ぐあぁああッ!」
貫かれた。肉体の、奥深くまで。
槍で一直線に刺されたかと思うほどの激痛だ。
傍らのコートを掴んでいなければ耐えられない。強烈な憎しみと耐え難い恥ずかしさが入り混じる。これを一体どこへ逃がせば良い。エスティニアンは私の肉体を否応なしに何度も撃つ。
「いや、だ、アアッ、」
溺れたくない。これは堕ちてはならない快楽の湖だ。だが、引きずり下ろされる。鮮烈な心地よさが雷気のように身体を駆け巡って私の本能を離さない。
「エス……エスティニアン、やめろ、」
揺られ、揺られ、揺すられ、エーテルが引っ掻き回される。エスティニアンが私の腰を掴み、ずん、ずんと棍棒で奥を殴り続ける。
『アイメリク、アイメリク……ッ』
「エスティニアン、」
口付けは痛みが紛れた。エスティニアンの柔らかな舌の形を確かめていれば、秘部の痛みを忘れられた。
『力を抜いてくれ……』
「あぁ、あ、あ、んんッ、あッ」
努めて、エスティニアンの身体に苦しみが残らぬよう、力を抜いた。だがこれで良いのかわからない。緩やかだった腰の動きは速まって、私はたった一秒の間に何度も気を失いかけた。
「ん、う、いたッ、んん」
秘部の口は、擦り切れるような痛みに嘆く。天井が前後に揺れている。哀れなエスティニアンは、邪竜の眼をして本能を吐露し、私を抱いた。少しは気持ちの良さを味わえているのだろうか、エスティニアンもまた喘いでいた。
私の腹では、陰茎の先が左右に情け無く首を振る。私はそれを捕まえて、自分の手で慰めた。白銀の赤い獣は私の身体の中で陰茎を震わせる。
『う、くッ……!』
陰茎が跳ねた。私の中で何度も。秘部の奥で、精液がごぼごぼと溢れた。ああ、終わりだ。私はエスティニアンを楽にしてやりたかった。腹に力を込め、最後の一滴まで、エスティニアンの精液を搾り取る。
『あぁ、……はぁ、はぁ』
エスティニアンは力を失い、挿入したまま私にぐったりと覆い被さった。邪竜はこれで、エスティニアンを解放するだろうか。
「エスティニアン」
返事が返ってこない。ひどく静かだ。息を止めているかのように、何の音も聴こえなくなった。私の秘部は、エスティニアンの精液を借りて、一筋の涙を流した。
「ハァ、ハァ、ハァ」
「エスティニアン?」
気が付いたようにエスティニアンは呼吸した。だが息が引き攣っている。
「あ、ああ、ああぁ……!」
顔を上げたエスティニアンの瞳は、元の色を取り戻していた。
「エスティニアン!」
いけない。私はすぐに気がついた。邪竜はこのときを待っていたのだ。陰茎をずるりと抜き取って、エスティニアンは後退りした。
「アイメリク、俺は、」
幼い子どものように、エスティニアンは頭を抱えて手足を小さく小さく折りたたみ、うずくまった。
「エスティニアン。お前は何もしていない」
「ああぁ……ああぁああ! ニーズヘッグ! うるさい……笑うなッ! 俺は、アイメリクに……あぁぁああッ!」
互いに裸のままで、総長室の隅で、私はエスティニアンを抱き起こした。
「エスティニアン」
さっき邪竜から習ったやり方で、私はエスティニアンの口を塞いだ。唇を押し当て、エスティニアンの口内に舌を刺した。エスティニアンの舌は固く窄まり、さきほど感じた蕩けそうな柔らかさはすっかり失われていた。
これではまるで、私がいたずらにエスティニアンを汚しているようだ。哀れに思って、私はエスティニアンから唇を離した。
「エスティニアン、叫ぶ必要はない。……何もなかったのだから」
抱き寄せたエスティニアンの身体は、氷のように冷たくなっていた。背中をさすってやると、エスティニアンの呼吸は浅いまま、規則正しく刻まれていった。
「俺が、やったんだな、お前に、」
「何のことだ。お前は何もしていない」
これでいい。これ以上邪竜にエスティニアンを奪われてなるものか。邪竜がエスティニアンに絶望と憎しみの重荷を負わせるのなら、私が分け合って共に背負おう。
「いいか、お前は何も知らない。私もだ。だからどうか、これ以上どこへも行かないでくれ」
物言わず、縋るように回されたエスティニアンの腕が、熱を持った身体には心地良かった。
エスティニアンが、自我を取り戻して帰ってきた。今はそれだけで十分だった。もう二度とエスティニアンを離すものかと、私は独り、心に誓った。
エスティニアンの背中には、私の指の跡が残る。腹には、爪で掻かれたという深い溝がある。私の秘部からは、なおも精液が零れ流れる。
それでもだ。——私達は、何も知らない。
『(我は貴様に力を与えた)
(貴様は対価として、何を差し出す?)
(何も持たぬのなら、また貴様の絶望と引き換えだ)』
『(帝竜の仰せのままに)』
