イン・ザ・ダーク

 黄昏のごとき蝋燭の灯りが闇に深い影を落とす、果てしなく冥い教皇庁・地下。足音は幾重にもこだまし、どこまでも遠く広がってゆく。13段下って右へ折れ、また13段下る。それを繰り返して、今は4度目の13段に差し掛かったところである。目に覆いをされているわけではないのにまるで光が感じ取れず、目が開いているのか閉じているのかさえわからない。地下全体は黴の臭いと下水道の臭いに覆われており、澱んだ空気が肺を満たして吐き気に襲われる。耳の感覚だけがひどく研ぎ澄まされて、僅かな鎧の衣擦れや、階下の水たまりにひた、ひたと落ちる雫、小さな鼠の走り去る足音さえも聞き逃すまいとはたらく。
全くもって誰も口を開かず、灯り一つを頼りに地下深くへと下ってゆく。道中、両脇を固めている蒼天騎士ら以外の人気を感じることがあった。感覚が研ぎ澄まされた今、それは気のせいではないはずだ。恐らくは、ここで抵抗しても無駄だという警告である。
 4度目の13段目が終わると、今度は右に折れず真っ直ぐ歩くよう促された。再び数え始めてから12歩目を数えたところで急に腕を強く引かれ、左に折れるよう強いられた。後ろ手に嵌められた手枷が手首に深く喰い込んで強い痛みが走ったが、痛いなどと言ってやるものかと息を止めて奥歯を噛み締める。
歩む速度が緩んだかと思うと、両脇の者たちが足を止め、片方が私の足元を蝋燭で照らした。闇に融けてはいるが、周囲には他に3~4名ほどの気配を感じる。
「膝をつけ!」
ここは大人しく従うしかあるまい。言われた通りの姿勢を取ると、金属の弾けるような音と共に肩や腕に鈍い痛みが深く走る。サバトンで踏みつけられたらしい。その衝撃をもろに受け、頭が激しい勢いで石畳に投げ捨てられた。視界が白飛びし、身体じゅうを様々な痛みが駆け巡る。頭上では、鉄格子らしきものが軋みながら開く音がした。足首の方向から金属の擦れる音がじゃらじゃらと響いてくる。「繋いでおけ」とはそういうことだ。私が地を這っている間に、足には鎖が括り付けられたらしかった。
「立て!」
ここは指示に従っておきたい。しかし、手は後ろで拘束され、かつ足首には重みが降りかかる。なんとか腕や肩に力を込めて立とうとし、ようやく膝立ちができたかと思ったが、眩暈と痛みで私の身体は頽れ、俯せに倒れ伏してしまった。
「無様だな!神殿騎士団総長ともあろう者が!」
「いや、元・神殿騎士団総長だろう?」
「いいや!こいつは異端者だ!」
「異端者は地下監房がお似合いだな!」
何者かが私の腹に一発蹴りを入れたかと思うと、足元から鉄格子らしきものがその杭を振り下ろす音が鳴り響く。そうして私は、地下監房の一室らしき場所に収容されたのだった。
私を取り囲んでいた男たちの高笑いが、たくさんの足音とともに段々と遠ざかってゆく。蝋燭の光も男たちが連れて行ってしまい、私はとうとう暗闇の中に投げ出されてしまった。
ああ、私もまた、人の子か。音が失われ、光が失われると、たちまち恐怖に襲われる。ほんの少し物音がしただけで心臓が鼓動を早めた。氷上かと錯覚するほど冷めた石畳に頬を寄せ、全身から発せられる悲鳴に耳を傾ける。ああ、痛かろう。苦しかろう。怖かろう。なんとか姿勢を変えたかったが、後ろ手の状態では、俯せ以外に腕を楽にする方法がない。試しに横を向いてみたが、今度は蹴られた肩が悲鳴を上げる。仕方なく私が氷上に甘んじ、身体の方を休めることにした。
 異端者か。異端児と呼ばれることはあっても、異端者と言われることがこれほどつらいとは。私はこれまで、幾人の異端者を屠ってきただろう。彼らは氷の巫女を通して真なる歴史を知っていたというのに、耳を傾けようともせず。己の信じてきたものを否定され、命を奪われた者たちに対して、無知であった・済まなかったでは許されない。私たちイシュガルドの子どもたちは、歴代の教皇猊下から、目を塞がれ、耳を覆われて、戦場へ駆り出されてきた。嘘で塗り固められた歴史を嬉々として教わり、戦神ハルオーネに偽りの戦争の勝利を誓い、命を儚く散らしてきた。ただ、教皇庁が嘘を塗り重ねるために。教皇に言わせれば、イシュガルドという国の器を守るために。
 異端疑惑が確定されれば、流れ出した噂は確信に変わる。イシュガルドを、教皇から民の手に渡すためなら、この命、くれてやっても構わない。
——そろそろ、限界か。こうも闇が広がっていては、瞼を閉じた方が明るく感じよう。私は瞼の裏に僅かな光を求め、夢に灯りが燈るのを期待し、意識を手放して眠りに落ちた。
そうして、何度夜を迎えたのだろうか。意識がはっきりすると身体が痛みだすから、私は微睡と眠りの間を行き来した。
幾度目かの夢の中で、私はエスティニアンに邂逅した。そこは聖レマノー大聖堂で、殉死した騎士たちの追悼式を行っている最中だった。いつの記憶か、いつの夢か分からぬそれを、私は靄のかかった頭で見ていた。背後の席では多くの親族たちが、子の死を悼んですすり泣いている。エスティニアンは、一番左端の棺を見遣った。
『あいつは、竜騎士として立派に活躍した。仲間がエイビスに背後から殺られそうになった時、真っ先に気付いて槍を振るったのは、あいつだった。』
『良き仲間だったのだな。』
『ああ。』
殉死者の棺に花を手向けると、エスティニアンは彼の棺の前に跪き、誰よりも長く祈りを捧げた。その姿は竜騎士団の筆頭・蒼の竜騎士の顔であった。『お前の無念は、俺が晴らす。必ずだ。』彼はやるせなさを滲ませながら立ち上がると、席に戻り、私の横に掛け直した。
『生きろよ、アイメリク。お前に死なれちゃ、俺がかなわん。』
その言葉には温かなものが混じっており、私は彼の言葉を噛み締めた。
そうして私は、幸福のうちに深い眠りに落ちる。どれほど此処にいるのかはもう分からない。随分長い間だったような気もするし、ほんの一晩だったような気もする。私の意識は解けて、ほとんど闇に還っていた。
次に彼と夢で邂逅したのは、それからまた数度の眠りと微睡を繰り返した後だった。松明の明かりがめらめらと広がり、私は初めて自分がいる監房が独居房であることを確認した。せめて、夢では温かい暖炉の前で、一息つきたかった。バーチシロップを紅茶に少し垂らして飲めば、もっと幸福になれるだろうに。周囲が明るくなったとはいえ、夢の中にあっても独居房にいることは変わりない。夢までもが私に絶望の欠片を渡すのか。
『おい、アイメリク!生きているか……よく耐えたな。』気が付くと私の腕は自由になっていた。エスティニアンは私の上体を起こして、私の髪を撫でる。その手は温かく、石畳の冷たさに身体を晒していた私には、貴重な熱源のように思われた。
『エスティニアン——ああ、温かい。』私は思わずその熱に縋った。『もっと、触れさせてくれ。その熱を、私に分けてくれ……』
彼は何も言わずに両腕の手甲を外し、私の身体をひしと抱いた。これほど人の腕の温かさを愛おしく思ったことはない。『エスティニアン、ああ、我が友よ……』彼は私の足枷を外し、足首にじかに触れた。『痛むか……?』『痛い。くるしい。おそろしい。』『ああ、そうだろうよ。』子どものような泣き言を彼は何度もうなずいて受け入れ、足首をそっとさすった。痛みこそあれど、傷口に触れられるだけで、不思議と痛みが引いてゆくのを感じる。私は幸福に包まれながら、エスティニアンの胸に頭を預け、眼を伏せた。
『クソッ……意識がはっきりしないか……。オイ、アイメリク!起きろ!』
——「起きろ」? 私は混濁した意識の中から、エスティニアンの言葉の意味を探さなくてはならない。私が理解できずにぼうっとしていると、エスティニアンは、羊の胃袋から作られた水筒を取り出して私の顔に水をひっかけた。「……!何を……」驚いて目をしばたかせると、エスティニアンは今度は水筒から私に水を飲ませてきた。
「これでも飲んで目を覚ませ。……ルキア!オルシュファン!アイメリクを見つけたぞ!退路を確保しろ!」
「アイメリク様……!」
「ご無事でありましたか!!ルキア殿、急ぎましょう!」
遠くで聴き慣れた仲間たちの声がする。皆、一様に私の無事を知ると、階段を駆け上がっていった。剣の擦れる音、盾で弾く音。彼らが目指した方角から、それらの音が聞こえてきて、私の意識がびくりと覚醒する。
「気にするな。今は」
エスティニアンの片手にしかと松明が握られている。炎は燃え盛り、辺りを煌々と照らす。彼の肩を借り、一歩、また一歩と階段を上ってゆく。息はいとも簡単に乱れ、額に汗が滲んだ。
「お前はもう一人じゃない。生きて事を成せ。でないと俺が困る」
「ふふ、何に、困るというんだ……」
「……お前を失うのが怖い」
「随分、素直に、言ってくれるのだな?」
「何故こんなことを言ったのか、俺にもよくわからん」
私の身体は均衡を崩し、何度も斃れそうになった。エスティニアンは私の身体を引っ張り上げるようにして支え続け、着実に一歩一歩、地上へ向かって進んだ。澱んだ空気はやがて薄くなり、出口には茜差す光が溢れる。
私達は確かに、希望に向かっていると感じていた。この先に待ち受ける運命も知らずに。

***

 エスティニアンは竜騎士団の詰所で後始末をつけ、帰り支度を済ませて、神殿騎士団病院に向かっていた。途中、肩に雪を積もらせたまま両籠いっぱいに水薬を抱えて走る治療師たちとすれ違う。あの薬は、病院から避難所に分けられ下層民に提供されるものだろう。ここで若き神殿騎士団総長の開いたイシュガルディアン・リーヴが役立ち、今、各地で活躍する冒険者たちが、昼夜問わず良質な水薬を納品しに集っているという。冒険者に支払われる金は国庫からだけでなく、四代名家を始め、貴族からの寄付で賄われている。しかし、今回のように金が流れ出るばかりではいずれ経済は破綻しよう。どこで取り返さなければならないかなどエスティニアンには想像もつかぬことであったが、少なくとも、この国はかくも血を流すことを続けていては近いうちに滅んでしまうだろう、というのは金勘定の素人である彼にも理解できた。
神殿騎士団病院に到着し、廊下を歩いていると、病人食を配給するためワゴンを押して回る治療師に遭遇した。ワゴンには、料理が幾つか載せられている。
「おい、総長サマの分もあるか?」
「ええ、こちらです。」
「これから奴の病室へ行くところだ。渡しておこう」
「助かります……」疲労の色を見せる治療師は、ワゴンの中段を示す。そこからクロッシュで覆われた食事をトレイごと受け取り、エスティニアンは再び歩き始めた。トレイには、水薬も載せられていた。「あっ!くだんの病室は、面会謝絶となっております……」構うものかと、無視して廊下をずかずかと歩き続けた。「エスティニアン様!」「叱られたら、俺に脅されたと言っておけ。」
アイメリクは地下監房に数日間捕われていたことから、身体に激しい損傷と衰弱が認められた。本人は休んでいる場合ではないと云って働きたがったが、病院長のエーベルに説得され、一晩だけでもと強制的に入院させられたのだ。
間もなく目的の病室かと思われたところで、丁度神殿騎士団コマンドのルキアが廊下へ出て来るのが見えた。ルキアは音を立てぬよう細心の注意を払って、ゆっくりとドアを閉める。彼女のほうは、ドアレバーから手を離し顔を上げたところで、ようやくこちらへ歩んで来る人の姿に気がついた。
「エスティニアン殿……」
「ご苦労。アイメリクはどうしている?」
「眠っておられる。こちらに着いてすぐ錬金薬を飲まれ、湯浴みの後眠られてから2時間程経った。……」
彼女は報告を終えると、力が抜けたようにすとんとその場にしゃがみ込んで俯き、長い長い溜息をついた。本部に戻ってからもずっとその硬い鎧を纏ったまま、息つく暇さえなく、今ようやく受け止め難い現実と向き合うことになったのだろう。仕組まれた異端者襲撃により下層民は傷つき、真実を明らかにせんと立ち上がった我らが総長は地下監房に捕われ、それを救出するも教皇は何処かへ逃げ仰せ、蒼天騎士共は人知を超えた力を振るい、重要な仲間を喪った。この怒涛の数日間のうちに失ったものに目を向ければ、キリがない。
「今日はもう帰ったらどうだ。」
「しかし……」膝を抱えるその姿からは、肉体にも精神にも限界が来ていることを感じさせた。
「奴の手足たるお前が万全でないと、奴も思うように動けんだろう。十分に休息を取るのも騎士のつとめだ。」
「そう、だな……」貴公の言う通りだ、と小さく頷くと、彼女は壁に手をついて力なく立ち上がった。その表情には疲労と無力感が色濃く映し出されていた。少し正論を言い過ぎたか、とエスティニアンはばつが悪くなり、何か良い言葉は無いものかと脳内を巡る言葉の中から欠片を拾い上げる。
「あいつの無茶な突撃を、よくもまぁ……生かし尽くしたもんだ。どこかでアイメリクも、お前が信じてついてきてくれることを願っていただろうよ。お陰で得られたものは多かった。アイメリクは、良い仲間をもったものだな。」彼女は定まらぬ視線をはっとエスティニアンに向け、不安げな表情で何かを言いかけた。しかし言葉は仕舞われ、それを聞くことはなかった。
 彼女が壁に手を添え伝い歩きするその様は、一筋の煙のようであった。
「ヨロヨロしてると、雪で足を滑らせるぞ。」
彼女の背中に向かって軽口を叩いてみれば、背を向けたままで笑い声と共に小気味良く「全くだ。」と返って来た。足取りこそ不安定ではあるものの、笑う余裕がまだ残されているのならば。——エスティニアンは安堵し、トレイの料理が冷めぬうちにと、病室のドアを三度ノックした。
「入るぞ」
 月光差し込む青白い室内で、アイメリクはこちらに背を向け、静かにベッドに横たわっていた。未だ眠り続けているのだろうか。後ろ手でドアを閉め、アイメリクの元へ歩む。枕元にあった床頭台にトレイを載せ、ようやく両手が自由になった。
「アイメリク、飯だ。」
ベッドの脇に腰掛け、アイメリクの背に己の背を預ける。アイメリクの顔を覗き込むと、彼の瞼は閉じられたままだった。丁度アイメリクを救出した時にも彼はこのような調子で瞼を固く閉じていた。しかし松明の灯りで照らしてやると、朦朧とした意識をこちらに向け、瞼を薄く開いて囈言のように熱を求めていたか。
「おい、飯が冷める。温かいうちに食べろ」カンテラの幾つかに火を入れ、部屋に灯りを燈しながら、友の起床を待つ。
「ん……」
アイメリクは身じろぎし、声のする方へと身体を捩った。
「エスティニアン……?」
「ああ。晩飯の届け物だ。」
「ありがとう。」
未だ寝息のような呼吸のままで、アイメリクは上体を起こした。静寂が包む室内では、呼吸も、衣擦れも、アイメリクの口から小さく洩らされた溜息も、耳を澄まさずともはっきりと聴こえる。エスティニアンは立ち上がって、料理に被せられたクロッシュを外した。静けさが煩い室内に、エメラルドスープの温もりのある香りがじんわりと広がってゆく。床頭台をテーブル代わりにアイメリクの方へ寄せ、近くにあった椅子に適当に腰を下ろす。
 アイメリクはベッドの縁に腰掛けると、物言わず、じっとスープを眺めた。スプーンは自分の意思で右手に握ったものの、一向に食べ始めようとしない。
「豆は苦手か?」問いかけにも反応はないが、左手は雄弁にも、彼の膝の上で固く握られていた。なるほど、アイメリクは心の内にて己自身と対話でもしているのだろう。相手は或いは、父上——教皇猊下か。病室を訪れた者に反応せず自己内対話で忙しいとなれば、今日のところは。エスティニアンは暫く椅子に掛けたまま友の様子を伺っていたが、痺れを切らして立ち上がった。
「帰るぞ。薬も飲めよ。必要なものがあれば呼べ、ではな」
「……行かないでくれ…」
アイメリクの喉から絞り出すような声に、エスティニアンは驚いて振り返る。
「どうした?」
「……」
反応を返したことにも驚いたが、更に驚いたのは、アイメリクの姿がひどく小さく見えたことだった。背を丸め、今宵の月光の色に似た瞳を彷徨わせ、膝に拳をつくっている姿は、まるで何をか我慢している子どものようだった。エスティニアンは(可哀相に)と感じてしまった。苦い顔をし、アイメリクの手からスプーンを抜き取ると、椅子に掛け直す。そして、スプーンの先でエメラルドスープを少量掬い、アイメリクの唇に運んだ。
「口を開けろ。」
促されるままに、アイメリクは薄く唇を開いた。その隙間に、エスティニアンの手によってスープが流し込まれる。アイメリクの喉に、腹に、温かなものが伝っていった。エスティニアンは少しずつスプーンに乗せるスープの量を増やしながら、アイメリクの瞳に蘇る生気を観察し続けた。時折スプーンがアイメリクの舌に引っ張られるのを感じ、表情こそ欠けているものの、生を手放すつもりではないらしいことがわかった。
「これで最後だ」
かちゃかちゃと皿を鳴らしてスープをかき集め、最後の一匙をアイメリクの口に流し込んだ。
「薬は自分で飲めよ。噎せるぞ」水薬の小瓶を手に握らせ、栓を開ける。アイメリクは何度かに分けて飲み進めた。こういう時、アイメリクは左手を小瓶の底に添える。育ちの良さが垣間見えるというものだ。空になった小瓶をアイメリクが弄り始めたので奪い取って、栓をし直し、トレイの上に転がす。クロッシュ、皿、スプーン、小瓶がすべての役目を終えてようやく床頭台の上のトレイに戻り、エスティニアンは人心地を付いた。アイメリクの隣に腰を下ろし、ただ黙ってアイメリクが話したいタイミングを待った。
月光を背に長い沈黙を共有していると、アイメリクはようやく、静かに口を開いた。
「引き留めてしまい、すまなかった……。一人でいるのが、恐ろしくなってな。」
「そうか。」
「地下監房にいる時、君の夢を見た……一度目は、私に『生きろ』と言い、二度目は、私に温もりを与え、消えゆく生気を取り戻させてくれた。」
「そうか。」
エスティニアンは再びアイメリクに熱を分けるべく、もう一歩だけ彼に近寄って座り、肩を抱き寄せた。腿が擦れ合う。アイメリクは促されるままにエスティニアンの首筋に頭を預け、凭れ掛かった。「ああ、温かい。…」アイメリクの言う夢での二度目の邂逅は、エスティニアンにとっては現実であった。しかしあれほどまでに無垢な姿を晒して縋りつくアイメリクを見るのは初めてで、自分のほうが夢を見ていたのではないかと考えずにはいられなかった。
「アイメリク、」
エスティニアンに潜む感情が頭をもたげ、彼はアイメリクの顔を覗き込む。互いの眼と眼が搗ち合って、二人は融け合うように、キスをした。唇を重ねていると、相手の体温が己の精神を満たしてゆくような心地がした。触れ合い、啄み、噛みつく。強く触れれば敗れてしまいそうな唇を割って、アイメリクはエスティニアンの熱を摂取する。静寂が包む室内では、互いの荒れた呼吸も、衣擦れも、エスティニアンの口から小さく洩らされた嬌声も、残酷なまでにはっきりと聴こえた。
 水面に顔を上げて呼吸する魚のように、二人は呼吸の苦しさに喘ぎ、息を切らす。
「大丈夫か、——あ、」
アイメリクは、泣いていた。声も上げず、肩を震わせることもなく、ただ呼吸を僅かに引き攣らせて。流れ落ちる細い道を頬に作り、真っ白なシーツに淡い染みを落として。エスティニアンは戸惑いながらもアイメリクの頭を両腕に閉じ込め、背中をゆっくりと摩り始めた。
次に目醒めれば、教皇猊下たる実の父——どこかで抱いていた、敬愛する気持ちや、愛されたいという願いを捨てきれなかった——から受けた仕打ちも、手足に未だ嵌められた感覚の残る枷の痛みも、横腹の砕けるような痛みも、肩や腕、額に残る汚辱の痛みも、暗闇に取り残され恐怖が魂に刻まれてゆくような心地も何もかもすべて、アイメリクに在るものは「こんなもの」で片付けなければならないものになる。さる誇り高き騎士——我らが尊き同志を喪い、多くの下層民や神殿騎士が犠牲となったのだから。それらに比べれば、自身に遺ったそれは「こんなもの」に過ぎないと、理解している。
だが、今はただ、許されたかった。ヒトとしてこの痛み、苦しみを、友の傍らで癒す刻を、許されたかった。