1
エスティニアンには、物の価値をよく理解せぬまま、後先考えずに金を遣ってしまうところがあった。これまで星海で半身浴をする代わりに足元から報奨金が湯水のように湧いていた。それゆえ、金の有無などは全く気に留めたことが無かった。戦いばかりの日々において金は遣う暇もなく溜まる一方だったから、お陰で物の相場を知らぬまま育ってしまった。
だが東方での旅暮らしで、ふたつ学んだことがある。ひとつ。皆大なり小なり魔物にまつわる困り事を抱えていて、自分ならばそれを槍一本で解決できる。ふたつ。解決したならば、感謝の度合いと懐具合に応じて報酬がもらえる。
方々で魔物退治をやりながら旅を続け、うまい話を聞いてアジムステップを進んでみれば此度はニーズヘッグがらみの仕事で、思いがけず相棒と再会し、依頼主たちからたんまりと金を貰った。今は妙な子竜に付き纏われて面倒な目に遭っているが、今日は母親に会いにアジムステップへ行くという。
つまり、今日のエスティニアンは、暇だった。
小金通りは人通りが多く、辺りは活気に溢れていた。蒸した温かな風が吹き抜ける通りには、晴々とした青空に色を塗るように、鮮やかな色の旗が並ぶ。
女のからりとした笑い声、男の威勢の良い掛け声。あちこちで響くギル硬貨の音。侍たちの規則正しい靴音、小気味良い下駄の鳴る音。あちこちから聴こえてくるものたちも鮮やかだった。あちらへ、こちらへと耳がくすぐられ興味が湧いてくる。
店先に置かれた品々はどれも見たことのない色柄形で、どれを目に入れても頭が驚いた。少し眺めていると必ず声を掛けられて、要らないものを買いそうになる。幸い勧められたのは味噌だったから旅には要らぬと断れたが、酒屋で試飲だと差し出された米酒は思わず中瓶を一本買ってしまった。一口飲んだ米酒はよく冷えていて、すっきりとした喉越しだった。蕩けるような舌触りと濃い甘みは忘れられない。この酒を知れて良かったと思うほどだった。
酒屋で店番の男から情報を貰い、ようやく今日の行き先が決まった。そこは温泉宿と聞き、心が動いた。ここのところエスティニアンは、地元では大妖怪と謳われた魔物を相手取ったり、我を失った竜を諌めたりと、大物相手に槍をふるい続けていた。たまには宿で日がな一日寛いでもばちは当たらない筈だ。
案内の通りに通りを真っ直ぐ抜けると、蒸した風が次第に熱風へと変わっていった。気温は、あればあるほど良い。古傷がおとなしくしていてくれる。雪原をドラゴン族の群れを追って進んでいたころ、古傷が痛んでよく身体が軋んだものだった。思い出すと、記憶の彼方から刺すような冷たい風が吹き抜け、背をぞわりと撫でた。
階段下からでもよくわかる。渋みのある赤く眩しい建物に、海色の大きな看板。湯の匂いはいっとう濃くなった。革のブーツで大地の感触を確かめながら階段を上る。石造りの階段は真っ白な砂が這っていて、イシュガルドの階段よりも随分柔らかい。ざり、ざり、と音が立ち、一歩一歩が岩肌に受け止められた。
からら、と音を立ててひとりでに扉が開いたが、横に扉が流れてゆくのは珍しく思う。前後に開く扉しか馴染みがなく、イシュガルドでは見られない造りをしている。エスティニアンの目はひとりでに、扉の開いた後に残るレールを追った。出入りする客は湯の残り香を漂わせ、頬を上気させていた。
「ほう、」
客室にはひっそりと壁際に飾られた小さな木と、縦長の絵。装飾が施された棚に、それらは折り目正しく収まっていた。もしここがイシュガルドなら、部屋の奥には豪奢な暖炉、あるいは空の酒瓶があるだろう。東方の整然とした奥ゆかしさは、皇都とは異なった趣があった。
クガネに来てから畳の香りを嗅ぐことが増えた。青々とした干し草に太陽の熱を閉じ込めたような香りがする。どこか、懐かしくもある香りだ。早速、肘を枕にして畳の上にごろりと横になる。
丸窓の外には、クガネの薄青の空が広がっていた。たなびく雲が薄らと伸びゆく空。ここには、エスティニアンが憂うべき問題は何一つないのだ。
「温泉」
はっと思い出す。微睡んでいた瞼を叩き起こして、エスティニアンは支度を整え望海楼温泉へ向かった。
防具を入れた麻の大袋は、かれこれ10年ほどの付き合いだ。着替えを入れたり食糧を突っ込んだりとその時々で用途を変え、今はアイスハートが膝を抱えて大袋の中で眠っている。その大袋から今は替えの下着と衣服、タオルのみを携えて降りてきた。背中には、アイスハートを背負ってきた重みと、相棒の魔槍ニーズヘッグの気配が残っていた。携えていないのに、いまだ背中にあるような気がしているのだ。
真っ白な湯気はエスティニアンを誘う。タオル一枚になった肌を湯気が撫でてゆく。周囲の客に習倣って身体を軽く洗い、いざ人の流れに乗って名物の大浴場へ。
驚いた。かくもクガネは高々と建物を築いていたか。眼前に現れたのはクガネ城。あらゆる建物はクガネ城の足元に、ドレスの裾を伸ばすように広がっていた。思いの外クガネは狭いのか、空間を工夫して、城を囲むように階段状に施設が築かれていた。イシュガルドはどのような形をしていただろうか。皇都も山の頂の小さな空間に、建物が密集してはいなかったか。しかしどうも皇都の造りが浮かばない。
「それだけ、竜ばかりを見ていたということか……」
塔の天辺に小さく築かれた竜騎士のための足場の配置だけが、身体に染み付いていた。皇都を上空から見たことがあったはずなのに、肝心なことは何一つ思い出せなかった。
「隣、失礼するよ。良い眺めだな」
「ああ」
男が、エスティニアンのすぐ側に腰を下ろした。いっとう眺めの良い場所を陣取っていた自覚はある。エスティニアンは腰をずらして隅に寄り、男に場所を譲った。少し動くと、湯気と共に湯の表面に波紋が広がっていった。
「素晴らしい……」
男の感嘆の声が耳を擽る。どこか、誰かの声に似ているような気がした。エスティニアンは物珍しさから、ちら、と男の顔を盗み見た。
エスティニアンは目の端が千切れるほど目を見開いた。隣にいた男はここに到底いるはずのない、——
「アイメリク、なぜ、」
見紛うはずがない。十年来の友人なのだ。
アイメリクは普段の顰めっ面から一転、憑き物が取れたような顔で、クガネ城を眺め、湯を掬って顔を洗った。まさか。今のは俺の見当違いで、その顔を包んだ手が外れたら、アイメリクに目の色やらの特徴が似ているだけの全く違う顔が現れるはずだ。——しかし手が退けられた後の顔は、エスティニアンを動揺させるには充分だった。
「アイメリクとは?」
「お前の、……アイメリクでは、ないのか?」
「いかにも。エメリーという。昨日リムサ・ロミンサからここへ着いて、今日から望海楼へ泊まっているのだ」
記憶の中のアイメリクと、あまりにも似過ぎている。濡羽色のうねり髪に、硝子のような澄んだ瞳。つんと跳ねた愛らしい小ぶりの鼻先、三日月のごとく緩やかに弧を描く唇。身体は肉付きがよく丹念に鍛えられていて、肌は赤みが差している。これがアイメリクでなくて、なんだと言うのだ。しかし、男は堂々と、知らぬ名を名乗った。嘘だ。エスティニアンは思った。これはアイメリクが俺を捕まえるための罠である、と。ここでこんな格好で会っては、こちらはなかなか逃げ出せない。そちらが他人のつもりならば、しばらく泳がせてみるか。
「お前、仕事は?」
「冒険者だ。東ザナラーンの出身でね。ウルダハで登録をして、剣術を学び、エオルゼア三国をぐるりと一回りしてきた。そういう君は?」
「きみ、」
その呼び名は、懐かしく、遠い響きだった。重ねた時が失われてゆくようで、胸の奥が冷たくなって、氷火傷のようにじりじりと焼けていった。『君』と呼ばれていた時期が、ほんのわずかだが、あったのだ。遥か昔、まだ出逢ったばかりの頃のことだった。
「クルザス地方の生まれだ。イシュガルドの神殿騎士団を退役して、今はしがない旅人だ」
「ほう、君はあの雪深い山都の軍人だったのか! イシュガルドはまだ行ったことがないな」
再び『君』と呼ばれ、エスティニアンの記憶が踏まれた薄氷のように軋み、ひび割れた。
たった二人で生き残ったあの日、遺体から認識票を剥がし、仲間が胸から提げていたハルオーネのメダイを拾って、長い長い道のりを歩いた。キャンプから掻き集めた物資を少しずつ消費しながら、火を囲んで語り合ったのを忘れたか。
生き残る度に地位は押し上げられ、より苛烈な戦場へ送られた。アイメリクには勲章が送られ、エスティニアンは竜騎士団への入隊が許された。互いの表彰や昇進を祝って、忘れられた騎士亭で安酒を酌み交わしたのを忘れたか。
邪竜の呼び声にうなされて眠れずにいた夜、エスティニアンを夜通し宥めていたのはアイメリクではなかったのか。
重ねてきた時が、目の前のアイメリクの中では丸ごと無かったことになっていた。それは、エスティニアンにとっては耐え難い苦痛だった。
「そうだ!聞かせてはくれないか。神殿騎士団ならば、あの竜詩戦争のことをよく知っているのではないか?」
「その顔で——竜詩戦争を軽々しく口にするな」
怒りは瞬時に迸り、抑えられなかった。アイメリクはあの竜詩戦争を戦い抜き、相棒と共に見事に人と竜の間を平定させた。今は皇都で民と共に新たな時代を歩もうとしているのだ。他人と名乗る瓜二つの男が、お前が、竜詩戦争を終わらせたというのに。なぜ、覚えていない。なぜ知らぬ素振りでいられる。
「すまなかった! 君は渦中の当事者か。さぞつらい戦いだったのだろう」
「ああ、そうだ。アイメリク、もう悪い冗談はやめてくれ……」
「エメリーだよ。そんなに似ているのか? 良ければどんな人物か、教えてはくれないか」
男の目は、見たことのある輝きを放って細められた。口角は無邪気に上がり、ああ、男の顔はエスティニアンのよく知る、人懐っこい笑顔になった。
「俺の知るお前は、アイメリク・ド・ボーレル。神殿騎士団総長にして、俺の唯一無二の親友だ」
2
男はハッと目を開いた。風呂の縁に腰掛け、脚は湯に浸し、エスティニアンを見下ろした。
「聞かせてくれ、君と、アイメリク殿のこと」
アイメリクは、そりゃあ、良い奴だった。こんな俺を親友にする奴だぜ。変わっている。
神殿騎士団に入りたての若い頃、哨戒任務の折、大型のドラゴンに奇襲をかけられたことがあってな。俺は気を失って仲間の遺体と共に焼け野原に転がっていたらしいんだが、それをアイメリクが見つけてくれた。俺はドラゴンを仕留めに行くことにして……やっとドラゴンを追い詰めはしたんだが、見事に反撃を喰らった。だが、アイメリクが弓で援護してくれたお陰で、俺は死なずにドラゴンを討つことができた。
気がつけば俺達は、たった二人で生き残っていた。俺は散らばったありったけの物資をいただいて回ったが、あいつは親切にも、団員の遺体から認識票や服の一部、お守りなんかを剥いで回った。それから何日もかけてイシュガルドに帰還したんだが……帰りながら、色々な話をしたよ。最初は入団の理由や、武術をどうやって身につけたかといった話ばかりだったが、そのうち、互いの生い立ちの話になった。あぁ? お前は他人だから、教えてやらないぜ。だが、いつかその顔でイシュガルドに入れば、お前は間違えられて総長室に押し込まれたり、議長席に座らされたりするだろうよ。そのときに、周りやアイメリク本人から、詳しい話を聞くことになるだろう。
奇特な経験をしたお陰で、そいつとはすっかり友達になった。馴れ合いや群れに全く意味を感じていなかった俺に、友達ができるなんてな。どちらかが危険な任務から帰還したときは、必ずそのへんの酒場で安酒を飲んだ。懐かしい思い出だ。
神殿騎士団は、平民も貴族も試験に受かりさえすれば入団できるが、実際は入ってからの身分差別が激しかった。あいつは色々と複雑でな……。貴族には蔑まれ、平民からは疎まれていた。かなりの苦労を強いられていた。俺はあいつに、身分なぞ関係ない、お前はお前だと言うことで精一杯だった。あいつの苦しみを真に解ってやれなかった。
「きっと、彼の心を救ったに違いない」
「どうだかな。俺は孤児だったが、恵まれていた。育ての親になってくれた男が、イシュガルドで最も強く、最も賢い騎士だったからな。アイメリクを慕っていた平民出身の同胞たちのように、苦しみを解ってやれたらよかった……」
エスティニアンは、男の隣に腰掛け、話を続けた。水面に、二人分の影が揺らめいた。
奴は相当な苦労を強いられ、したくないことも全て引き受けさせられた。苛烈な戦場の最前線に置かれ、神殿騎士団に殺される一歩手前だった。それでも奴は踏みとどまって……奴の隊の者を誰一人死なせなかった。その代わり、除隊を希望する奴が時々現れた。
いかなるときでも、爽やかに振る舞っていた。嫌味がなく、非の打ち所がない。まずいことがあっても声を荒げず、人を諭していた。ここだけの話、俺の前では時々、驚くほど毒づいていたのだがな。あの白豚、私の生い立ちを馬鹿にすることでしか私を批判できないようだ。私がどれほどあの白豚の尻拭いをやっていると思う? 私は家畜管理班ではないぞ。 ああ、あいつが天に召される日はいつだろう? 最期は酔っ払って雲海に足を滑らせてしまえば良いのに! とまぁこんな具合だ。お前によく似た、その涼やかな目元がぐしゃぐしゃに歪んで、めちゃくちゃな愚痴を次から次に吐くものだから、可笑しくて仕方がなかった。おい、そんなに笑うな。あいつと俺のことを知りたいと言ったな? だから話したんだぜ。あいつの名誉のためだ、決して言いふらすなよ。
俺はとてもアイメリクの真似はできなかった。冷静に戦うやり方も、人との付き合い方も、アルベリク……ああ、育ての親だ。アルベリクから習いはしたが、どうしても前者しか身に付かなかった。
一時は、俺が音を立てるだけで、皆が俺を怖がった。俺が戦っているさまを見て、皆が恐れ慄いた。それだけ、気味が悪かったのだろうな。先代の総長から、笑いながら戦っていたと指摘されたこともある。ついた名が、「屠龍のエスティニアン」。俺は宿敵たる竜を殺せるならば、あとは何も要らなかった。皆と関係を結ぼうなどと、考えたこともなかった。俺より弱い、いずれ死ぬ奴らと仲良くして何になる? とな。ハ、嫌味なやつだぜ。
今になってやっとだ。人の親切が、正しく身に沁みるようになってきたのは。竜詩戦争の終わりには、邪竜ニーズヘッグと相討ちになって、今までずっと覚悟し続けていた死をとうとう遂げるのだと幸福さえ感じた。だが、旅の仲間から……命懸けで救われてしまった。
今までは、我慢ならない、捨ておけばいい、頼れる奴だ、俺の戦いには不要だ、と俺を中心に物事を考えて……、考えざるを得ない状況だったのか、そんな状況でもアイメリクのように、周囲を慮る優しさがあればよかったのか……。俺には、優しさが欠けていたのだろう。アイメリクは、お前は心の優しい男だと言ったが……どこを見て、そう思ったのだろうな。今でもわからんままだ。
戦後すぐは、俺はエーテルの消耗が激しく、病院で眠ってばかりいた。そんな俺を、旅の仲間やアイメリクが代わる代わる看病しに来てな。今日は気分はどうだ、飯は何が出た、旨かったか全部食べられたか、身体に力は入りそうか、今日の分のエーテルは飲んだのか、エーテル量についてはなんと言われた、風呂には入れたか、どこか痛むところはないか。母親のように質問攻めだ。心配し過ぎなんだ、あいつらは。だが、その関わりで、気が紛れた。死を悼む心は虚ろで、涙はとうに枯れ果てた。まぁ、あいつらがいつも陽気にやってきて……、それは、救いだった。
イシュガルドを発ってからの旅は、今までの俺自身の振る舞い方を考えさせられることが多くてな。なかなか、年甲斐もなく人付き合いに苦労している。まずもって、このような状況で何かを訊かれた際に、何をどのくらい話せば良いのかがわからないからな。長話だったろう、悪いな、許せよ。
膝から下が、熱をもっていた。男の赤みが差した脚は、ますます赤くなっていた。エスティニアンは、かくもあれこれと饒舌に話す自分に驚いていた。話したことのほとんどは、無意識の中に仕舞われていたものばかりだったからだ。
エスティニアンの心臓には苦味が広がった。エスティニアンは居心地が悪くなって、湯から脚を引き上げて立ち上がり、近くのベンチに腰掛けた。男はすとんと横に掛け、エスティニアンの次の言葉を待つ。二人の距離は、一人分より少なく空いていた。
空と海は太陽に照らされて境界が融け、港の先は白一色になっていた。波は白色を乗せてざわめく。エスティニアンは陽が少し傾き始めたのを見、立ち上がって脱衣所を目指した。
「待ってくれ、」
「ウミネコ茶屋に行くんだろう」
アイメリクの——男の笑顔は、澄み切った青空のように晴れ晴れとしていた。願いを聞き入れられたときに、アイメリクもよく、晴れやかな顔をした。それから雪のように白い歯を覗かせ、肩を少し縮めて、照れたように笑うのだ。
「置いていくな」
後をついてきた男は、くすくすと笑いながら着替えを始めた。
「なんだ」
「いや、私の知人に、君と行動がよく似ている男がいてな。可笑しくて、つい」
まるで、遠回しに俺を批判しているようじゃないか。男の言葉に、背中に虫が這ったような心地がして、エスティニアンはろくに身体を拭かず無理やり服を着た。あちこちから雫が滴り落ちて、下へ下へと溜まってゆく。お陰で下着はいつまでも濡れていて、レザーの装備は肌に容赦なく張り付いた。
エスティニアンの去った後には、小さな水たまりができていた。
3
大きなクリスタルが、ゆっくりと廻ってゆく。青く透明な光を纏い、艶やかな帯を遊ばせ、足許を泉に浸して、旅人たちを迎えては見送る。
着物の男女は笑いながら大橋を渡り、小金通りへと歩いていった。大橋の中腹では、ラザハンから来たという旅の踊り子が呼び込みを行っている。昼間から潮風亭で飲んでいたらしい着物の男二人は千鳥足で、まだ眠りについている花街方面へと向かっていった。ウミネコ茶屋は、クガネの人々の営みを観察するのにうってつけの場所にある。
「転魂塔という。エーテライトではない」
エスティニアンは小さく指差した。
「所変われば、名も変わるものだな」
「そう思うだろう。だが、どうも歴史が違うらしいぜ。原理は同じだがな」
「シャーレアン式ではないのか。エスティニアン殿、話は変わるが……クガネは気に入ったか?」
男の好奇心は尽きなかった。喋り疲れていたが、友によく似た男に尋ねられると、なんでも答えてやりたくなる。外を俺ほど知らぬ男に見せてやれるものはないか、教えてやれることはないかと、つい考えてしまうのだ。
「ああ。ここはウルダハに似て商人の街だが、治安は悪くない。イシュガルドでは霊災以降、魚をあまり食わなくなったんだが、ここは魚がいつでも食える。クガネの飯の味付けは案外複雑で、どれを食っても面白い。肉も食うようなんだが、輸入に頼って——」
「食の話ばかりではないか。エスティニアン殿は、食に興味がおありか?」
「そうかもな。神殿騎士団の飯は旨かったから、舌が肥えたのだろう。アイメリクが総長になってからは、より旨くなった。士気が上がるようにと、飯には特に気を遣われていたようだ」
「良い友達をもったな」
真っ直ぐな言葉と眼差しが、エスティニアンのぼんやりとした思考を貫いた。友人の目の前で友人を褒めさせられているようなばつの悪さが、急にどっと頭にのしかかった。
「そう、だな……」
男は黒色のインナー一枚で、柔らかそうなズボンを穿き、靴はエスティニアンのものに似た革のブーツを履いていた。それらの上に、アイメリクの顔がついている。手も、耳の形も、ピアスの穴も何もかもが似ている気がしてならず、エスティニアンはつい男の耳をしげしげと眺めてしまった。
イシュガルドを発って、随分経つ。記憶は曖昧になり始めていて、多少似ていれば誰でもアイメリクと誤認してしまうのかも知れない。男が他人を装ったアイメリクだと確信するほどの自信も無ければ、男は赤の他人だと断定する自信も無いまま、エスティニアンは肩を落として顔を覆った。
「エメリーと言ったか。本当に、アイメリクによく似ているよ、お前……」
さあさお客さん、みたらし2人前おまちどおさま! 給仕の女性が団子の乗った皿を2つと急須を1つ、二人の間に置いていった。
夕陽色に照り輝く団子は2本ずつ。とろみのついたタレは、ほんのりと焦げのついた真っ白な団子を隙間なく包んでいる。男は皿を持ち上げ、団子を光に透かしたり、皿を回して団子の焦げを覗いたりと忙しない。
「丸く捏ねているのか……。棒に刺して、先に焼いてから周りのソースを塗っているのだろうか」
「お兄さん、もしかして初めてかい? ともかく、食べてごらんよ。甘くて、柔らかくておいしいんだよ。どうぞおあがり」
男は目を白黒させて串を見つめたまま、何度も頷いた。
「串の、長い方を持って食えよ。剣術士ならわかるだろう。皿から離し過ぎるとタレが服に落ちるぞ」
エスティニアン自身も、確かにはじめは目に入るもの全てに驚いてばかりだったが、俺はさすがにあんな様子ではなかったとかぶりを振った。
串の先端にある団子に齧り付き、一つ丸々口に収めた。口の中にたちまち香ばしく甘い味が広がってゆく。団子は噛めば噛むほど甘味が増した。
「美味しい……ああ、あっという間に口からなくなってしまうのがとても惜しいよ」
そう言って、男は二つ目を頬張った。顔全体が蕩けそうになっていて、目元などはすっかり垂れ下がっていた。アイメリクは甘いものを好んだが、この男もそうなのだろうか。エスティニアンは自然と、男とアイメリクの共通点と相違点を探していた。
団子を食べていると、塩味が欲しくなる。その欲求を満たすのに、昆布はちょうど良かった。エスティニアンは昆布をいくつかつまみ、口に含んだ。口の中が甘辛くなって、喉は渇くがまた団子の甘味が欲しくなった。
「とても美味い。ウルダハでなら食べられるのだろうか。だが、こんなに旨いものは、この土地、この気候、この水の良さにこの製法でしか味わえまい。これではまたクガネを訪れてしまいたくなる」
「冒険者なんだろう。何度でも来れば良いじゃないか」
「路銀が、な……」
「路銀、なぁ」
男は鼻から満足気な息を吐き、団子を口に入れていつまでも噛み続けた。
青々と茂った松の下は、太陽と影の体温が混ざり合って穏やかに凪ぐ。エスティニアンは足元の松の葉を一つ拾い上げ、両端を引っ張って繋ぎ目をぷつりと離した。無駄な行為だと、以前の自分なら目くじらを立てただろう。
「自由なものだ、旅は……」
「今までは、不自由だったのか?」
「わからん。あまり考えたことがなかった。『蒼の竜騎士』と呼ばれ、当然のように俺はその役目を演じていたからな。だが、人々は好きなときに、好きなところへ行く。話したい奴に話し掛け、食いたいものを食う。観たいものを観、ときには立ち止まってぼんやりと空を眺める。そういう自由をもっているのだと知って、驚いているところだ」
「そうか……。君がこれまで失っていた自由を取り戻し、これからどこまでも遠くへ羽ばたいて行けるよう、祈っているよ」
「そりゃどうも。俺の守護神である、ハルオーネにでも祈っておいてくれ」
湯呑みを取って、茶を啜る。思ったよりも温くなっていて、喉の奥がひっそりと冷えた。
クガネのあちこちをくまなく見て周り、陽がすっかり傾いた黄昏橋で足を止めた。エスティニアンは欄干に背を預け、夜明けの白んだ空色の髪を靡かせた。
「ここでいつもこうやって、夕陽を眺めている。たまに、常連の顔を見かける。風水士の男とかな」
男は欄干に腕を預け、身を乗り出した。風は男の宵闇色の髪を捏ね始めた。
「このまま、太陽に飛び込んでしまえたら、どんなに良いか」
「飛び込んでどうする」
男の答えは、返って来なかった。
ここに至るまでに、騒々しいくらい話をした。その会話の量は、今日どころか、二週間分の話を一日でしてしまったと感じるほどだった。これほど人と話をしたのはいつぶりだろうか。
エスティニアンは、男の横顔をちらりと見た。男は柔らかな笑みを浮かべ、夕焼けに染まった雲がゆくのを眺めていた。
「アイメリク様ーっ! 探しましたよ!」
男は、声のした方へゆっくりと顔を向けた。
「おや。君に続いて、今度は誰だろうな?」
欄干から身体を離し、男はこちらへ手を振る若い憲兵風情の男に手を振り返した。あれは、イシュガルド教皇庁の特使ではないのか。戸惑いを隠せないエスティニアンを置き去りにして、男は背筋を伸ばし、踵を返す。
「おい……」
男は、——アイメリクかも知れぬ男は、静かに笑った。
「私の名は、エメリー・ボルテール。覚えておいてくれ。いつかまた、共に旅をしよう」
エメリーは、アイメリクは、黄昏橋を下っていった。河へ延びた影が、次第に建物の影と同化してゆく。エスティニアンの心臓が胸の皮膚を叩き撃つ。
「エメリー!」
エスティニアンは駆け出した。今走り出さなければ後悔すると本能が叫んだ。髪が千切れそうなほどの速さで一目散に駆け出した。
アイメリクの爪先が潮風亭二階の扉に触れる頃、エスティニアンはアイメリクの手首を取った。ビー玉のような瞳が切れ長の瞼から溢れ落ちそうになるのを支えるように、エスティニアンはアイメリクを己の腕の中へ収め、抱き締めた。
「アイメリク……エメリー・ボルテール……」
「私を見つけてくれてありがとう、エスティニアン」
アイメリクの大きな両手が、エスティニアンの背を撫でた。返事の代わりにエスティニアンは腕に力を込め、さようならの代わりにアイメリクは、エスティニアンの頬に口付けた。
潮風亭の扉がアイメリクを飲み込むのを見送って、エスティニアンは黄昏橋の中腹へと歩いていった。欄干に腕を預け、深く深く背中を丸めた。エスティニアンの背には負ぶさるように幾つもの後悔が積もった。
幼き小さな星が、昼と夜の境目に一人でぽつりと現れた。
まるで俺のようじゃないかと、エスティニアンは思った。
[終]
