「ほら、見て。主教様の落とし胤だそうよ。……お若い頃にそっくりよね」
「ああ。8歳かそこらだったか。あの子自身は知らないのだったな、己の血について。かわいそうにな……」
もう何度、こうして混乱させられたか知れない。こちらをじろじろと見て聞こえよがしに噂をする、悪意に塗れた貴族たち。アイメリクは冬の寒空の下、一人金貨の入った袋を握り締めた。彼らが言う、主教様の落胤たる我は、マーケットさえ好奇の目に晒され自由に歩くのを許されないか。お使いをと母に頼まれた子爵家の少年に浴びせられたのは、薄氷の張った水より冷たい言葉の氷柱で、それは少年の小さな心の臓を貫いた。アイメリクがある程度の年齢になってからというもの、それまでは無言で意味深な視線を送っていた市民たちが、一斉に口を開き始めた。あの物言いたげな視線はこれだったのかと納得がいったと同時に、彼らが口にする言葉がもし事実であるならば、私は。——アイメリクは唇を噛み、込み上げる思いをぐっと堪えた。
頼まれたものをやっとの思いで買って、石畳を踏み締める。イシュガルドの高い空は藍色と茜色に抱かれ、いくつかの星々が瞬いていた。アイメリクは背をすっと伸ばし、努めて平静を装いながら帰路に着くこととした。しかしその内は、自身の出自について噂する声を聴くたび、心臓が重くなってゆくのを感じていた。
家々から洩れる暖かな灯りが路地を照らしていた。その家の一軒に目を遣ると、薄く雪の積もった窓越しに家族の笑い合う姿が見えた。それを見ていると、物心つく前からボーレル家で育ってきた養子たる我の存在がより歪に見えてくる。アイメリクは、血が滲みそうなほど強く拳を握り締め、一目散に駆け出した。養子を取るというのは、貴族の家ではさほど珍しくはない。ましてや、愛人がおり、そこにも貴族の血を引く子がいるというのも、珍しい話ではなかった。だが聖職者は、神がそうしたように、私欲から離れその身を全ての民のために捧げる、さすれば神の教えに近付くことができるという考えから、独身を貫かなければならない。愛人がおり、ましてやそこに子どもがいるなどということは、あってはならないのだ。ならば、私は?——アイメリク少年には、いや、イシュガルドの民として産まれた子どもには、重過ぎる問いである。その問いに対する仮説が、駆けていたアイメリクの足をはたと止めた。
「私は、」
「アイメリク!」
名を呼ばれてはっと顔を上げると、通りの向こう、ボーレル邸の玄関外に、育ての母・ボーレル子爵夫人が立っていた。
「母上、如何されたのですか?」アイメリクは母の元へ急いだ。
「ああ、よかった……アイメリク、無事だったのね!」
母は少年に駆け寄り、両の腕でアイメリクを包み込む。
「帰りが遅かったから……何か困ったことがあったのではないかと、心配をしていたのよ。お金は足りた?怪我はしていない?」
「何も……母上、ご心配をおかけして申し訳ありません」
その言葉を口にした途端、アイメリクの頬を一筋の涙が伝って、石畳を滲ませた。「……?」アイメリクは驚いて、慌てて頬を袖で拭う。しかし、涙は意思に反して、堰を切ったように溢れ、袖では拭い切れなくなってしまった。その惨めさにアイメリクは呼吸を乱す。止めどなく流れ続ける涙は冷気に冷やされ、濡れた頬を痛めつける。ボーレル子爵夫人は驚いて、「大丈夫、大丈夫よ」と声を掛けながら、子の小さな背をさすり続けた。いよいよ脚に力が入らなくなり、アイメリクはその場に膝をついた。乱れた息、白飛びする思考。そして、とうとう少年は、仮説を吐いてしまった。
「母上……私は、……存在しては、ならない子なのですか?」
母は目を見開いて、夫を呼んだ。「あなた!!」暖かな室内から路地へガウンのままで飛び出したボーレル子爵は、アイメリクの姿を見るや慌てて駆け寄ると、その小さな身体を抱きかかえ、家の中へと迎え入れた。
子爵家の屋敷は決して大きくはない。ましてや後継者を失いかけていたボーレル家は、使用人も少ない。だが決して不自由はなく、豪奢な調度品は貴族としての矜持を感じさせる。薪は火を絶やすことなく燃やされ、常に室内を温かく保っていた。此処は、アイメリクにとって、かけがえのない我が家だった。泣き疲れ、ソファーにかけたまま呆然としていると、紅茶が目の前のテーブルに置かれた。バーチシロップの甘やかな香りが少年の鼻をくすぐる。運んできた主を探して見上げると、父の温かな瞳がアイメリクに注がれていた。ああ、此処は、安心して良い場所に違いない。紅茶を一口含むと、その優しい温かさに、心に閊えた氷柱が少しずつ解かされてゆくのを感じた。安堵するアイメリクの傍に母は腰掛けると、アイメリクが紅茶を置くのを確認し、少年の肩を抱いた。
「アイメリク。よく聞いて頂戴。……私たちは、子どもが大好きだったけれど、自分の子ができなかった。来る日も子どもを願ったわ。そんな私たちの元へ、小さな小さな貴方がやってきてくれた。貴方は私たちにとって、かけがえのない、最愛の贈り物なのよ。」
父はアイメリクの髪をそっと撫でた。
「産まれてきてくれてありがとう、アイメリク。最愛の息子よ。」
「ではなぜ!なぜ……」刃のような問いを発しかけて、アイメリクはかぶりを振った。「いえ、父上、母上……こんなに想って頂けるなんて、私はたいへん幸せ者です。」
アイメリクは、母の胸に額を預け、乱れた思考を整える。母は、アイメリクを両腕で包み、泣いていた。父もまた、眼に涙を滲ませ、何度も何度もアイメリクの背を撫でた。
ボーレル子爵と子爵夫人は、いずれアイメリクが自身の出自を疑い始める時を、確かに予見していた。そしてその出自は、このイシュガルドに産まれた子どもにとってはあまりにも辛いものであると、よく理解していた。だがこの時は、小さな少年の種親が新教皇になってますます少年を苦しめること、そして大人になった彼が教皇の落とし胤との烙印を押されたまま権謀術数の濁流を泳いでゆくことなど、知る由もなかった。
