各国盟主が初めてラヴィリンソスを訪れた時のことだ。最後尾にいたメルウィブ殿は、ふと振り返った私の目の前で、一つだけ、禁忌を犯した。セントラル・サーキットのロジスティコン・ガンマ付近で、先導を務めた哲学者議会の案内人が我々に背を向けているのを良いことに、こっそりと、何かを拾って懐に入れたのだ。メルウィブ殿は、私の呆気に取られた視線を感じたのか、足早に列に戻ったかと思うと顔色一つ変えず、私にだけ聴こえる声で「貴殿もどうだ?」と囁いた。彼女の逞しさに、流石は元海賊かと目眩がしたが、私も負けてはいられまい。好奇心旺盛な少年になった気持ちで周囲を見渡し、アルケイオン保管院の昇降機に戻る手前で、純白の花を摘み、持ち帰った。
「メルウィブ殿は、何を?」帰りの船で尋ねてみると、彼女はコートの胸元を少しだけ開き、懐から紫色の花を一輪覗かせた。「かつて焦がれた男の耳飾りに、よく似た色をしていたものでな。」彼女が目を細めた途端、私の胸元がふわりと輝いた。驚いて懐を開くと、コートの内側に引っ掛けた花の花弁の一枚一枚が、昼間溜め込んだ光を少しずつ零すように光っていた。「ほう、貴殿の戦利品はなかなか面白い。光る花か?」「ええ……私も、今初めて知りましたが……」しかも純白だったはずの花は、いつかエスティニアンが旅先から木箱に入れて私に寄越した、輪宝貝のような色をしているではないか。「良い色だな。平和に相応しい色だ。」「仰る通りです。」彼女は、ふ、と笑って手を振り、カヌ・エ殿らの輪に消えた。後から知ったことだが、盟主らは皆、冒険者には此処の資源の採集が認められていることを知っていて、自分たちも原石や小枝などをひとつ、懐に入れて帰ったそうだ。ただの視察で終えるつもりはない盟主らの強かさに、己の若さを思い知らされた。
純白だったはずの花が、なぜあのような色になったのだろう。摘んだ際には光っていなかったはずの花が、なぜ光ったのだろう。船がリムサ・ロミンサに到着した頃には既に花の色は褪せており、イシュガルドに戻る頃には花は純白に戻っていた。幾ら物理的な刺激を与えようとも、この花があのひとときのように光を強めることは無かった。私は花が枯れぬよう簡単な魔法で処置を施した。そうして、ガラスケースに入れて執務室に数日飾った。いつか此処を訪れる者が再び花の色を変えはしないかと、その時を待った。だが、花は誰が訪れても純白のまま、昼も夜も月の如く柔らかな光を見せるのみであった。仕方なく、花はケースごと布で包んで我が家に持ち帰った。夜風に晒されたガラスケースは刃の如く冷たくなって、私の腕から熱を否応無しに奪っていった。
「どうすれば、再びあの光を見ることができる?」
悴んだ指を暖炉で温め、配達士モーグリによって届けられた時のまま書斎の窓辺に飾っている木箱を摘み、輪宝貝を取り出す。メルウィブ殿が青き日を打ち明けた時、何故この花は色めいたのか。貝を弄びながら原理について仮説を巡らせるが、たった一度しか現れなかった現象に法則性を見出すことができない以上、いくら仮説を立てようと確かめる術が無い。せめてあと一度、花が色めく瞬間が見られると良いのだが——纏まらぬ思考を虚空に投げ出すように、私は瞼を下ろしてソファの背もたれに頭を預けた。
あくる日、エスティニアンの来訪で、この花の正体はあっさり解明されてしまった。
「相棒が同じ花を持っていた。ウルティマ・トゥーレには、それの花畑がある。周囲の者の強い想いに呼応してその色やらを変える仕組みだ。確か、エルピス、という花だったか。」
「なるほど。それで、強い想いを抱いているのはどちらだろうな、エスティニアン。」
「お前だろう。俺に逢えた喜びが、この花をこんな色に変えているんじゃないのか?」
「お前の仕業じゃないのか?少なくとも、この花はお前がこの部屋に入って来るまで、純白だったんだ」
「俺を見て、気持ちを抱いて、それが花に伝わったと考えるのが道理だろう?」
「私を見て、抱いた気持ちが、花を色めかせたとも考えられるぞ。」
子どもの如く口々に原因の所在を押し付け合う。だが、我々は互いに気がついていた。エルピスが湛える輪宝貝色がとても深いことに。それは一人分の色めきではなかった。我々が二人で、エルピスをそうしたのだ。エルピスは我々とは真逆で、とても素直だった。相手の言葉に意見を返せば返す程、この花の前で無力を味わった。我々はさんざ言い合いをした後、已む無く沈黙した。
エルピスが我々の想いを暴き尽くすように放つ光を強める頃、私たちは口を結んだまま、ただエルピスを見つめていた。私は時折ガラスケースを回し、頬杖をつき直した。蝋燭がひとつ融けきったことにも気がつかないほど、エルピスの花はその色、その光を私たちの心から吸い上げ続けた。
エスティニアンは文机の端に腰掛け、ガラスケースを抱き寄せた。「多弁なもんだ。」口の端から声にならぬ笑みを洩らし、ガラスケースに両肘と頭を預けた。
「温かい。この光には、確かに熱もあるのか。」エスティニアンは、揺蕩う銀糸でエルピスを覆い、頬をガラスケースに押し付けた。私の胸の奥が蝋燭の炎のごとく、ぐらりと揺れた。「エルピスが羨ましいよ」心の中で呟いた筈の言葉が、消え入りそうなほどの掠れた音をもって、口の隙間から洩れ出てしまった。エスティニアンは眉を顰めて私を暫し見つめ、ガラスケースを机の端に置くと、私の頭を抱き寄せた。
「解っただろうに。」
「ああ。勿論だ。エルピスが教えてくれた、その色で十分だとも。」
エルピスほどに日頃から素直で在れたならば、どれほど良いだろう。しかし、互いに口にしないが故に、紅潮したエルピスを愛おしいと思うのだ。理想のみならず互いに傾ける愛情までも心を一にしていることに、尊さを覚えるのだ。
彼の銀糸が私を覆った。彼の頬は私に寄せられ、薄い唇が私のそれを啄み、彼の、エルピスから戴いた熱の残る指が、私の身体を引き寄せた。彼に見つめられれば見つめられるほど、身体中が熱をもった。彼の想いを身に受けるほど、私の声は艶めいた。
ガラスに鎖されたエルピスよ、そこに閉じ込められているのはお前ではない。最早それは、私そのものだ。
