色のない世界

 

 雪が、雪が、はらはら降る。
 遥かな星海に引き寄せられ、舞い、踊り、積もりゆく。
 
 真っ赤に染まった雪原の遠くで、アイメリクは、雪を掻いていた。奴は血の気を失った顔で、たったひとりで赤い雪を掻き分けていた。惨いことに、掻いても掻いてもその下から、赤い雪が現れた。
「還るぞ、候補生」
 背後で、生き残った竜騎士団の女が俺を喚ぶ。そいつは、応急手当を施された腕を首から布で吊っていた。そうなってはもう、竜騎士の名は二度と名乗れまい。
「キャンプで合流する」女にそう告げて、俺はアイメリクの元へと歩き始めた。
 負傷兵の乗った馬車は列をなして、とぼとぼと北へ向かう。西陽は深く傾いて、東の空には小さな星が一粒輝いていた。竜騎士たちは、背負うにはあまりにも重すぎる槍を、雪原に突き立てながら歩いていった。
 少なくなった足跡と、深く刻まれた車輪の轍が、奴の肩を通り過ぎて遥か遠くまで伸びてゆく。だが奴は、雪を浚い続けていた。奴の、誰かから声を掛けられるのを待っているかのような可哀想な姿に、俺は焦げ付くような苛立ちを覚えた。
 
 雪に足を取られながらようやく奴の元に辿り着いたが、奴の背は、遠くから見た時よりも一層小さくなっていた。
 奴は這いつくばって、力無く項垂れていた。か細くも荒い息は白くなって、奴の耳元を掠めながら散り散りになってゆく。
 俺は奴の目の前に、力いっぱいランスを突き立てた。
「そんなに心配されたいか」
返答次第では、蹴り飛ばしてやるつもりだった。
「——エスティニアン!」
奴は俺を見ると、目を見開いて、雪原に額を擦り付けた。その雪は、鉄の匂いがするだろう。
 頭を上げたアイメリクは、今にも泣きそうな顔をしていた。安堵の滲むその表情があまりにも緩んでいて、俺は苛立ちを覚えた。一刻も早く還らねば死に至る——ドラゴン族の大群がいつ、また俺たちを襲うか知れない。俺は吐き捨てるように言った。
「ここで死にたきゃあ、何でも探し続けていろ」
 奴の眼の色が変わった。
 奴は立ち上がって肩を震わせ、身体から獣の唸り声のような嗚咽を漏らした。俺を見るその眼は恨みがましく、拳は今にも血が滲みそうなほどに強く握られていた。
「お前というやつは……ッ!」
 俺の視界が急にぐらついた。
 気がつくと俺は雪原に仰向けに伸びていた。
 頬に、鈍くて深い痛みが刺さっている。
 何が起きた?
「誰が信じられる!?お前の生存を!こんな状況で!」
アイメリクは俺に馬乗りになって、俺の胸ぐらを掴んだ。俺はそれを、他所の出来事のようなぼんやりとした心持ちで見ていた。奴の今にも泣きそうな息遣いが、冷えた空気に受け止められてゆく。奴の左手には、神殿騎士団の認識票が数枚、握られていた。
「すまない、エスティニアン。お前が生きていると信じることが、できなかった。私を許してくれ……」
胸ぐらを掴む拳が弛んだ。奴は背中を丸めて、俺の胸元へゆっくりと頭を着地させた。チェーンが、きっと残酷なまでに冷えている。奴の額から、熱を奪ってゆくだろう。
「そんなこと、責めちゃいない」
俺の身体は、雪原に同化してしまいそうだった。奴の背中越しに、羽根のような雪が降る。俺はやはり、何かそういう夢でも観ているような心地でいた。
 やっと顔を上げたアイメリクは、安堵と、怒りとで、表情がぐちゃぐちゃだった。奴の頬に涙の通り道ができて、その道を伝ってたくさんの涙が降りていった。
「泣くな」
手袋の指先に、奴の涙を吸わせた。じわりと染み込んできた涙は、氷のような冷たさだった。
「すまない。お前が生きていてくれてよかった……」
「何を言ってる。お前が独りになりたくないだけだろう」
眩しいくらいの祝福に似た言葉を受け取ったが、俺は、どう返してよいかわからなかった。口を突いて出た返答は、アイメリクにどう届いたろうか。俺には、奴の表情を確認する勇気は無かった。
 
 遠くで、ドラゴンの咆哮が聴こえた。俺は段々と夢から醒め、アイメリクの腕を二度、叩いた。
「還ろうぜ、アイメリク。今出立すれば、まだキャンプで合流できる」
「やはり強いな、お前は……」
アイメリクが情けない顔をして、俺から離れ、立ち上がった。それまで俺の身体の上にあった温かさは、風に吹かれてたちまち半分になってしまった。俺は何故だかそれが、寂しかった。
「ホイッスルを吹いてみないか」
アイメリクがチョコボホイッスルを鋭く二度吹いた。それは危機の合図。こいつでチョコボが来れば、大したものだ。俺も奴に倣って、ホイッスルを吹いた。そして、空を見上げて待つ。陽が落ちてきて、イシュガルドの山々はグレーのシルエットになっていた。
「来ないな……」
「いや、見ろ。一頭だけだが、」
小さくて黒い影が、ぴい、と鳴いた。それは力強く翼を羽撃かせ、俺達のもとに着陸しようと滑空していた。
「交代で乗らないか?」
「何でもいい。先に乗ってキャンプに行って、一頭借りてきてくれたっていいんだぜ」
「いや、交代にしよう。今は私が、そうしたい気分なんだ」
「好きにしろ」
思わず俺が鼻先で笑うと、奴が悪戯っぽく笑い返した。こいつのほうが、余程強いというものだ。
 チョコボは着陸すると、誇らしげに跳ねた。首輪に括り付けられた革の首輪には、神殿騎士団のプレートと、見知らぬ男の名が刻まれたタグが提げられていた。
「重騎兵だ。次期コマンドの一人は彼だと、噂されていた」
アイメリクが、握った掌を開く。そこには、タグと同じ名が刻まれた認識票があった。
「そうか。……お前が先に乗れよ」
 雪原はドラゴン族に踏み荒らされ、折れた矢が散らばっていた。轍やチョコボの足跡は、俺たちを通り越して、遥か先まで続いている。赤かった雪原はすっかり錆びていた。それら全てを覆うように、雪が静かに重なってゆく。
 遠い昔、一人でドラゴン族の頭目にとどめを差しに行った日のことが、ふとかすかに蘇る。あの日は、隊は俺達を残して全滅し、たった二人で生き残ってしまった。その晩も、こうして二人で、クルザスの大地を踏み締めたか。今回は、あの日よりも生存者が多く、マシな方だった。
「懐かしいな、」
「ああ、懐かしい。」
 雪は、星海に引き寄せられるようにして降り、積もりゆくのだという。俺達以外の大きくて小さい命が、羽根の向こうから体温を伝えている。まだ、俺達は、生きている。チョコボに似た、アイメリクの濡羽色の髪が、俺と同じに白く染まり始めていた。

[End]