道標

 私が援護がてら残ったことは、エスティニアンにとってはなかなかに幸運だったはずだ。私も、一人でとぼとぼと帰還するよりずっとよかった。
エスティニアンは戦いの後しばらくして、思い出したように、腹と背が痛いと言いはじめた。キャンプに戻る道の途中でたびたび足を止め、草むらの陰で岩に身体を預けて休んだ。あと少しでキャンプに着く、あの牧場を曲がってきただろう、あと少しだと声をかけ続けたが、彼は話をすることはままならなかった。エスティニアンの荒い息遣いを流しっぱなしのオーケストリオンのように聴きながら、これ以上なんと声をかけてよいかわからず、そうこうしているうちにキャンプ・エバーレイクスに到着した。

 テントに入り、すぐに身体を診てやると、確かに背中にも腹にも紫色の大きなアザができていた。ドラゴンの尾になぎはらわれたときに、深手を負ったとみえる。
まだアザに触れていないのに、私が手を近づけただけで、エスティニアンは触っただろうだの痛いだのとぎゃあぎゃあ喚いた。まるで我が家の猫殿の爪切り前みたいだ。猫殿だと思ってしまえば、私のほうがずっと冷静でいられた。やはりエスティニアンは、骨が折れているに違いない。私は物資を漁り、彼の手を借りて、包帯をぴったりと巻いてやった。包帯がすぐに見つかったことも、とても幸運だった。悪運だけは強いとの彼の言葉通り、エスティニアンがどんどんハルオーネの加護を引き寄せているようだった。
キャンプはもちろん人が全員戻ってくるつもりでテントは張ったままであったし、焚き火のための薪は組まれたままだ。その光景は、私たちが先に還ってきただけで、後から仲間がぞろぞろと帰って来そうだった。そうであれば、どれほどよかっただろう。

 がらんとした、暗いキャンプ。エーテライトが寂しげに佇む。

 身体から、力が抜けていった。大火傷を負い煤まみれになった仲間たちの姿が、目に焼きついて離れない。これが、ドラゴン族と戦うということなのだろうか。当たり前がたった一瞬で失われたことの強い衝撃と喪失感が、一気に襲ってきた。これを、あと何度経験すればよいのだろう。

 風が冷たくなって、日がだいぶ落ちてきた。遠くから、梟のくぐもった鳴き声が聴こえる。虫の声が騒がしい。木々が揺れ、葉と葉がすれてざわめいた。
救護物資の中から、痛み止めのラベンダーオイルを見つけた。それをエスティニアンによこし、私は火を起こした。
火に息を吹きかけながらエスティニアンに目を遣ると、彼は栓を開けて瓶の口に鼻をぴったりと寄せ、かじりつくようにラベンダーオイルを嗅いでいた。痛み止めの使い方を心得ているらしい。私はほっとして、焚き火の明かりを頼りに食べ物を漁った。
今朝は皆で、沸かした水を飲み、パンと干し肉とシチューを食べた。火の近くに部隊長や上官らが座り、私たち新入りは火からは遠い端の暗がりでシチューを啜った。
そのシチューがひどく懐かしく思え、私は芋を手に取った。ナイフを握って皮を剥くが、皆がやっていたようにはいかず、手のひらから短い皮がポロポロとこぼれ落ちた。
「貸せよ」エスティニアンが近づいてきて、私の隣に腰掛けた。
「いいのか? 痛みは?」
「だいぶマシになった。ラベンダーオイルが効いてきたんだろう」
エスティニアンに芋と包丁を渡すと、彼はナイフを芋に薄く当て、慣れた手つきでするすると長い皮を作った。
「見事だな」
「ガキの頃からやってきたからな」
「へえ……。君は、どこの生まれなんだ?」
エスティニアンは、芋を切り、ナイフを置く。眉と眉の間に深い皺が寄った。空気が張り詰めるのを感じ、私は慌てて彼に言った。「答えたくなかったら、」「ファーンデール。東部高地の、もう、無い村だ」
「ファーンデール……」
私は、言葉を失った。ファーンデールの惨状は、小さい頃に大人から聞いたことがある。邪竜ニーズヘッグの襲撃を受けて壊滅してしまったのではなかったか。彼は、生き残りというやつなのだろうか。
「君の家族は……」
「ああ。死んだ。両親も、弟も」エスティニアンはナイフの先端でバターを切って、トライポッドに吊るされた鍋に落とした。
溶かしたバターの中に切った野菜を放り込む。鍋からじゅうじゅうと音が立ち、甘い香りが漂った。
「今はアルベリクが、俺の父親代わりだ」
「アルベリク卿か? あの、蒼の竜騎士の?」
「ああ。それよりお前は? その様子だと、特段、ニーズヘッグに恨みはなさそうじゃないか」
「私は、」
言われてみれば、私には親兄弟をニーズヘッグに殺された経験もなければ、ニーズヘッグに直接命を脅かされたこともない。ただ、今日仲間を失って生まれた悲しみは、晴らさなければならないような気がしている。
「逝った仲間のために戦い続けることを、身をもって学んだばかりだよ。入団した目的は、別にあってね」
「ほう?」
よく熱せられた鍋に調味料と牛乳を入れ、エスティニアンが顔を上げた。
「イシュガルドを改革するため、神殿騎士団に入団した。
私は、現教皇の落とし胤なんだ。母は、誰だかわからない。聖職者は高潔であらねばならないのに、彼は戒律を破り私をこさえた。私は本来なら存在するはずのない子どもなんだ。気持ちが悪いだろう?」
エスティニアンは何か言いかけたが、すぐに口をつぐんだ。
「教皇は生まれてしまった私を子どものいない子爵家の老夫婦に託し、スキャンダルを揉み消したようだ。
皇都で育つうち、イシュガルドには望まれずに生まれた妾の子がたくさんいるらしいことがわかった。皆恵まれず、まともな職さえ得られない。血筋がなんだ、同じ人間だというのにどうして等しく機会が得られない? 疑問は尽きることがない。私は、この世を変えたいんだ。存在するはずのない子どもに、どこまでできるかはわからないが」
吹きこぼれぬようずらした鍋の蓋がくつくつと跳ねるのを見ながら、エスティニアンはやれやれと言わんばかりに小さく溜め息をついた。
「血筋がなんだ。同じ人間だと言っておいて、お前は存在するはずのない子どものままか。お前だって、同じ人間だろう」
「それは……」
今まで何度となく耳にした、私と皆が区別される言葉。あの子は生まれてはいけなかった、教皇猊下を誑かした悪魔の子、気持ちが悪い、と聞こえよがしに噂した貴族らの言葉は、私の胸の奥に憎しみや怒りに満ちた沼を作った。私はその沼から脱け出せず、もがけばもがくほど沈み、溺れ、窒息しそうになる。
自分の血統を疑わずにいられる皆が、羨ましかった。私とは違う世界に生きる皆のことが、妬ましかった。せめて、ただの妾の子ならば、どれほどよかったか。
「周りから教皇の落とし胤と疎まれ、笑われ、蔑まれて、生まれて来なければよかったと何度も思った」
焚き火に小枝をくべると、火はぱちぱちと音を立て小さく爆ぜた。自分が、嫌になる。のどの奥に、苦味が広がる。
「——すまない。初めて会話した相手に話すべきことではなかったな」
「構わん」エスティニアンは素っ気なく答え、鍋の蓋を開けた。私との会話より今はシチューを作るので忙しいんだという様子で、エスティニアンは注意深く鍋をかき混ぜた。そしてチーズを削って鍋に加え、溶けたのを確認してシチューをよそった。私はその手際の良さに驚くばかりだ。
差し出された器を受け取ると、エスティニアンは私をじっとにらんで、鼻先でわらった。
「お前は、周りからの勝手な評価で自分の価値を決めるのか?」
ばかばかしい、と彼の顔に大きく書いてあった。理解も共感もするつもりはないらしく、エスティニアンは私の反応などお構いなしに自分の器を抱え、シチューを匙ですくって口に含んだ。
「言われたことがないから、わからないんだ、君は」
「ああ、無いさ。だが、誰になんと言われようと、お前はお前だろう」
「私は、私……」
匙ですくって、シチューを啜った。甘い。優しい。
「おいしい」
ひとりでに、笑みが溢れた。昨日のも美味かったが、私はこちらが好きだ。濃くて、チーズがたっぷり入っていて、野菜がとけそうなほど柔らかい。
「私は、私だろうか。私も、同じ人間でいて良いのだろうか」
ひとりでに問いがこぼれた。
「誰の許可もいるものか」
「そうか」
エスティニアンの言葉が、私の胸に少しずつ浸透してゆくのがわかる。彼の言葉は、とても大切であるようだとわかる。彼に何か言わねばならないような、彼についてもっと知らねばならないような、そんな気がして、口がむずむずと動きだす。
「君と、もっと話がしたい。君のことを、もっと知りたい」
「皇都まで寝ずに歩いて丸一日、休みながら歩いて二日」
エスティニアンは冷め始めたシチューをかきこんで、小さく舌打ちをした。面倒だと目に書いてあったが、私は構わず質問を投げる。
「アルベリク卿が父親代わり、とは?」
「手負いの身なんだ。今日は勘弁してくれ。明日話す」
片付けは任せてもいいか、と言い残し、彼はラベンダーオイルを掴んでテントに引っ込んでしまった。あっという間の出来事だった。

 エーテライトは、道標だ。クリスタルが青白い光を纏い、ここをめざして歩めと指し示す。まるで、エスティニアンの言葉のようだ。お前はお前だ、信じた道を歩き続けろと、私の行くべき道を照らす。私はとんでもない人物を、友人にしてしまったのではないか。
 なぜ、私は生き残ったのか。この問いの答えさえも、エスティニアンと共に歩めば見えてくるような気がしている。私はエスティニアンの後ろを歩いてみたいと、強く思った。エスティニアンがこの世の悪運を全て自分のものにして、俺は俺だと歩む姿を見てみたい。こんな状況で生き残ったのだから、彼にも私にもきっと、戦神ハルオーネからの試練が課せられているに違いない。
 ならば、試しにもう少し生きてみるとしよう。私は鍋と布切れを掴んで、胸に巣食う沼を洗うようにがしがしと鍋底を洗った。