会議の席につくと、先に来ていたアルベリク卿がこちらをじっと見て、口を動かした。はなしが、ある。あとで。
これから総長以下各部隊のリーダーが集う重要な会議だというのに、私の意識は浮雲になって、居ても立っても居られないと漂いはじめた。アルベリク卿が私に話しかけるときは、天気の話かエスティニアンの話と決まっている。察するに、エスティニアンの話で間違いないだろう。
このところ、彼の姿を見ていない。蒼の竜騎士の試練を受けることになった、と話してから、彼はこつぜんと姿を消してしまった。誰に聞いても、知らないと言う。もしや、とは思ったが、確信はなかった。
全ての議題について共有し終え、会議はお開きとなった。皆厳粛な顔つきで退室する。はじまりから終わりまで、会議は終始張り詰めていた。
最後の者が退室し、部屋には私と、アルベリク卿と、総長が残った。アルベリク卿は部屋の外に誰もいないことを確認して、用心深く扉を閉めた。
神殿騎士団総長が口を開く。
「アルベリク卿、その後、次期蒼の竜騎士の様子はどうだ」
私ははっと顔を上げた。アルベリク卿の言葉にするどく耳を傾けた。
「竜の力のコントロールは上達しました。しかし、邪竜の千年分の怒りは深く、竜の力を有しながら自我の主導権を握るのはとても骨が折れることなのです。ご相談したいのですが——彼奴をアイメリク卿に会わせてやっても? ほんの数度で構わないのです」
既に状況を把握している様子の総長の視線が私に注がれる。エスティニアンは、蒼の竜騎士の試練に合格したのだ。そして宝珠に選ばれた。今は、次期蒼の竜騎士としての訓練を受けている! 私は喜びと戸惑いを悟られないよう、注意深く笑顔を着込んだ。コマンドになってから、私は嘘や隠しごとがうまくなった。
「彼は私の親友です。お力になれることがあれば、なんでも致しましょう。機密は守ると誓います」
総長の退席を見送り、アルベリク卿と、私が残った。作戦司令室は二人でいるには広く、空間のほとんどをもてあました。
「アイメリク卿、すまない。エスティニアンの精神状態が不安定なのだ」
心臓がゆっくりと凍りついていくのがわかった。正しく立っているかさえ、わからなくなるほど、私がどんどん遠のいていく。我が友が。
「最も強く、最も賢く、最も勇気ある者に力を授けるという竜の眼に、彼奴は選ばれた。今は竜の力をコントロールしようと懸命に励んでいる。しかし、彼奴はお前も知っての通り、イシュガルドで最もニーズヘッグへの恨みが深いと言っていい。彼奴の恨みは、ニーズヘッグの怒りと馴染みやすいようでね……竜の力を通じてなだれ込んできた邪竜の激しい怒りに呑まれそうになることがあるようだ」
声がやたらに響くので、アルベリク卿の声はどんどん小声になっていった。それがかえって空気を張り詰めさせた。
「アイメリク卿。貴方からも、エスティニアンに声をかけてやってはもらえないだろうか。自分が何者か、その輪郭を取り戻すには、貴方の存在が欠かせまい」
アルベリク卿の姿は、息子を心配する父親そのものだった。背は薄らと丸まり、悔しさとも悲しみとも取れるような表情を浮かべていた。こんなアルベリク卿の姿は見たことがない。せめて私は気丈に振る舞わねば、と思った。
「ぜひ、会わせてください。しかしアイツなら、きっと克服できるでしょう。アイツほど悪運の強い男は、見たことがありませんから」
笑ってみせると、アルベリク卿も表情を和らげた。明日の夕刻と約束をして、私たちは部屋を後にした。
夕刻、教皇庁を訪れると、修道騎士用の地下訓練場に案内された。
ライトフェザー闘技場のような構造をした訓練場は、ちょうど見下ろすようにして訓練を観察することができる。
竜騎士が空を切って飛ぶ音を追った先に、眩くあかい光をまとって宙を舞い、槍をふるう者がいた。
「突けッ」
アルベリク卿の鋭い声が飛んだ。あかい光は虚空で一直線になって、はりぼての大型ドラゴンの脊椎に目にもとまらぬ速さで飛び込み、私が瞬きをひとつするころにはもう天井近くの小さな足場に着地していた。
エスティニアンは両手を広げて咆哮を上げ赤い竜の幻影をまとってはりぼてに飛び込んでゆく。私が息を呑んだ瞬間、訓練場に大きな爆発音とともに爆風が吹き荒れた。
「……ッ! エスティニアン!」
巻き上がった砂塵が地面に着地し、だんだんと視界が晴れてゆく。私の目にはじめに飛び込んできたのは、原型を失って崩れたドラゴンレザーの塊だった。
「止めッ!」
アルベリク卿の号令が響き、エスティニアンは槍を下ろした。
あれが、竜の力。たった一人でドラゴンの群れと渡り合えるほどの力を有する、蒼の竜騎士。あれが、今のエスティニアン・ヴァーリノだというのか。幼い頃から叩き込まれてきた槍さばきは、入団当時から既に蒼の竜騎士に匹敵するほど美しいものだった。しかし、魔力の乗った槍はああも強い破壊力を有しているのか。
全てを無に帰すような力を得た友を前に、私の心臓は強く速く鳴り続けた。蒼の竜騎士を皆が畏れ、敬う心がよくわかる。
「アイメリク卿、よくいらして下さった。訓練は終わりだ。良ければこの後、エスティニアンの食事に付き合ってやってはいただけないか」
「承知しました」
抱いた印象の数々を消化できぬまま訓練場の階段を下りていると、ゲートが開き、檻が運び込まれた。
そこに、エスティニアンが自ら入ってゆくではないか。
「お待ちください。これは……」
見間違いでなければ、それはチョコボを捕獲する檻と同じものだった。堅牢な檻はエスティニアンが足を収めるとすぐに音を立てて閉められ、鍵と鎖が急ぐようにかけられた。まるで、獣扱いだ。あれは、人だ。なぜ。
「いつも、あのようになさっているのですか」
アルベリク卿は、本意ではないのだという顔をして、エスティニアンが運び出されるのを見守った。
「竜の力が暴走して、皇都の民に万一のことがあってはならない。掟に従い、こうせざるを得ないのだよ」
エスティニアンの入った檻は、修道騎士らに見守られながら退場した。
また、この場に二人だけになった。
「あなたも、あれに、」
「ええ」
アルベリク卿は拳を握り、ぽつりとこぼした。
「愛する我が子を檻に入れたい親が、どこにいる」
子を失った親に、よく似た声色をしていた。認識票と遺品を届けた先で聴く、寂しい、寂しい声だった。
食事は、神殿騎士と同じものを食べているらしい。聞き馴染みのあるメニューを告げられ、ほっと胸を撫で下ろした。
しかし、ここで食事をとっているのだと案内された場所は、入り組んだ道を進んだ先にある、隠し部屋のような場所だった。檻よりはましかと部屋に入ると、中にまたも鉄格子があった。隠し部屋でなく、隠し牢ということか。エスティニアンは、どこまでも、隔てられていた。
エスティニアンは鉄格子の内にいて、少しも動かずじっとこちらを見ていた。二人分の食事を持って入ってきた修道騎士に私が礼を言う様子を、エスティニアンは刺すように見ていた。
修道騎士も、私の一挙一動を逃すまいと見ていた。疑うのなら、なにもいうまい。その扉が閉まり、鍵がかかるまで。
湯気が薄くなった食事に視線を落としていると、ようやく扉が閉まった。案の定、外から鍵がかけられた音がした。
「食べよう」
声を掛けても、エスティニアンからの反応はない。ただ、らんらんと輝く眼で、こちらをじっと見ている。ならば、と私もエスティニアンを観察した。
エスティニアンは竜騎士団の揃いの鎧を脱いで綿布のぼろに着替えていたが、まるで囚人のようだった。髪は傷んで、今にもぽろぽろとちぎれてしまいそうだ。気のせいか、少し痩せて見える。指先は黒ずんで、ちらりと見えた手のひらには、槍だこがいくつもできていた。
「祝福あれ」
私からやっと視線を外したエスティニアンは、手を合わせて祈りを唱えた。存外、彼らしさは失われていないようだ。
エスティニアンはクリムゾンスープの皿を持ち上げると、皿の縁に口をつけ、迷いなくゆっくりと胃に流し込んだ。途中で置くことなく、皿の角度は直角へ迫ってゆく。私は驚いて、食べかけのパンを皿に戻した。異常な飲みっぷりだ。エスティニアンは、こんなヤツだっただろうか。
とうとう飲み干して、エスティニアンは投げ捨てるように皿を置いた。そして、口許に溢れたスープを袖で拭った。袖があざのように赤紫色に染まった。
「エスティニアン、気分はどうだ?」
「何をしに来た、アイメリク」
声は、堅く、無機質だった。この鉄格子や、檻のような声だと思った。ここでアルベリク卿の名を出すことは悪手だろう。
「親友はどうしているかと総長に訊ねたら、面会を許されたのでね」
「この俺に、嘘をつくとはな。総長がそう簡単に面会を許すと思うのか」
エスティニアンの目が、ぎらりと光ったように見えた。イシュガルドの秘宝を扱う極秘任務では、異端者から秘宝たる竜の眼と誕生したばかりの蒼の竜騎士を護るため、情報は秘匿されている。総長と、竜騎士団団長、秘宝を護る修道騎士以外に漏らされることはない。なるほど、親友の面会希望では理由が弱すぎたということか。
エスティニアンはグラタンから肉を掘り起こしてかぶりつき、咀嚼しながら私を見ていた。私の答えを待っているらしい。無音の地下牢に、彼の咀嚼音が響く。私が唾を飲み込む音も、聴かれてしまいそうだった。
「神殿騎士団総長より、エスティニアンの自我の制御を少し助けてやれ、と。会って話をしてくるだけでよいと言われている」
「クク……。自我の制御か。会って、話を……温いな。状況を理解していない証拠だ」
あざけるように、嗤った。閉ざされた唸るような声で、エスティニアンは続けた。
「ニーズヘッグの怒りは、イシュガルドの民全てを殺し尽くしても晴れることはあるまい。それほどに強大な怨恨だ。それを今、竜の眼から注がれた魔力とともに、俺一人の肉体に収めている。竜の力を得てからというもの、願くば邪竜にひれ伏して、邪竜の寵愛を得たいと、俺の精神が暴れ出すようになった!そんなものを抱えて戦っていては、普通ならいつかヤツに呑み込まれ正気を失うだろう。だが俺は、今までの蒼の竜騎士とは違う! 俺には、ニーズヘッグに抱く怒りと怨みがある。両親も、弟も、友人も故郷も何もかも、俺はニーズヘッグに奪われているからな!——ニーズヘッグがイシュガルドの民を怨むというのなら、俺もニーズヘッグを喜んで怨み返してやろう。俺がニーズヘッグの力を吸い尽くし、怨みの炎でヤツを焼き尽くして、ヤツが俺に力を与えたことを心底後悔させてやる。それまで一瞬たりとも気を許すものか! 自我の制御だと? ニーズヘッグの魔力も、怒りも、干渉も全て俺が捩じ伏せる。そして邪竜ニーズヘッグをこの手で殺す! 心配なぞ無用だと、総長によく言っておけ!」
どうして、哀しい顔をしている。なぜそんなにも、悲痛な声で叫ぶんだ。
エスティニアンの言葉は、まるで嘆きのようだった。怒りとともに覚悟を決めた彼の後ろで、幼きエスティニアンが、暗がりに沈み、叫びながら泣いているかのようだった。なぜだか、俺は槍をとりたくてとったわけではない、どうして生き残ったのが俺だったのだと言っているように聴こえ、私は立ち上がって鉄格子に触れた。
「……私なら、お前が幼い頃から背負ってきた運命にも、これから担う重責にも、耐えられない」
「お前には不可能だ」
鉄格子の向こうへ手を伸ばすと、エスティニアンがいぶかしむような顔をして近寄ってきた。
「だが、理解しようとすることはできる」
「望んでいない」
「私がお前を理解したいだけなんだ。勝手にさせてくれ」
私が伸ばした手に、エスティニアンが掌を重ねた。彼の手は彼の精神のように冷たく、氷に浸したかのようだった。
指は節々が太くなって、槍だこは見た目よりずっと硬くて、槍を握るのに適した手へと進化していた。白くて薄い体毛が、手の甲にも微かに生えていたはずだ。しかしそれらは、まるで焼け枯れたかのようになくなっていた。その必死に生きている彼の手が痛ましく、私はエスティニアンの手を両手で掬って額に当て、私の温もりを彼の手に注いだ。
「戦神ハルオーネの加護があらんことを」
どうか忘れないでいて欲しかった。ここに、エスティニアンの味方がいることを。どうか、孤独にならないで欲しかった。私が然るべき立場に就いたとき、もし背負える重荷があるならば、共に背負わせて欲しかった。冷たい世界から、どうかこちらへ。
「……飯が冷める」
エスティニアンはばつが悪そうに、私の両手から自分の手をするりと逃がしてしまった。眉間に皺を大量に寄せて牢の奥へゆくと、食事が乗ったままのトレイを握って戻ってきた。
「腹が空いて仕方がない。お前のも寄越せ」
配給のための小窓からトレイごと差し入れると、エスティニアンは私の食事をどんどん自分の皿に移した。
「おい、皿を全部戻せ。食い意地が張っていると思われて、明日から量が二倍になると面倒だ」
「二倍にしてもらうといい。今日食えるなら、明日も食えるだろう?」
「ばか言うな。昨日まで碌に食わなかったんだ」
「パンの一つも?」
「あぁ」
エスティニアンは私の目の前でグラタン二人分を平らげてみせた。さて笑顔を見せるかと思いきや、普段は笑いそうなところで彼は笑おうとしなかった。
気を張っているせいか、エスティニアンの感情の起伏は怒りにしか振り切れない。彼はこれから、蒼の竜騎士という重荷を下ろすまで、そうして生きてゆくのだろう。笑うことを忘れ、怒り、叫び続けるのだろう。
「私もいつか、ともに走るよ。先に走って、待っていてくれ」
そう言い残して内から扉を叩く。エスティニアンのぎょろりとした視線に刺されながら、私はエスティニアンの牢を後にした。
三日後、全団員に、蒼の竜騎士の誕生が告げられた。
四日後、イシュガルドの全ての民に、蒼の竜騎士拝命式典の日取りが知らされた。
七日後、式典が開かれ、集った民の前にエスティニアンが姿を現した。
エスティニアンがアーメットを脱いで首を一振りすると、彼の豊かな銀髪が蒼天にきらめいた。グレイの瞳は民への慈愛に満ち、口許には絶対的な自信が浮かぶ。戦神ハルオーネを思わせる御姿に、多くの民がため息をついた。
この日のために、私たちは、あの隠し牢で演説の練習を行ってきた。エスティニアンは、練習の通りにやり遂げた。
演台の階段は、ゆっくりと上がれ。
民がお前を見ているぞ。お前の足音を聴き、お前の一挙一動におののくんだ。
演台に着いたら、お前のために集った全ての民を、左から右、右奥から左奥へ、じっくりと見よ。
そして、眉間に皺を寄せ、口を結べ。すると民は、固唾を飲んでお前の言葉を待つだろう。
息を大きく吸い込んで、威厳に満ちた声を描け。
腹から声を出すんだ。
「——聴け! 我が同胞たちよ!」
民は、水を打ったように静まり返る。
さあいざ、イシュガルドに、希望の咆哮を轟かせよ。
